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キスの雨を降らされてから数日後。私は魔法学園の制服の採寸をされていた。
てきぱきと進められていくままに任せっきりにしていれば、「終わりましたよ」と、メイドのシロネにぽんと肩を叩かれる。
「まさかお嬢様が、魔法学園への入学を了承するとは思いませんでした」
「……本音を言えば、行きたくはないけれどね」
気乗りしないのは当然のこと。ただでさえ、まともに他の貴族との関係も築けていない。浮くのは目に見えている。
それだけじゃない。自分の身の上は、誰もに敬われるルクシス殿下の婚約者だ。婚約者がいるとはいえ、彼に想いを寄せる令嬢はそれこそ数えきれないほどいる。魔法学園に彼が入学するのは確定事項であり、あわよくばと彼に見初められたいと願い、狙う女性は後を絶たない。
彼女たちにとって、婚約者である私は敵だ。それも公爵家出身であること以外に何一つ箔もない、子を生すという意味でも機能するかもわからない欠陥品。王家に嫁ぐだなんて、自分でも信じていない身の私を、引き摺り下ろそうとするのは自明だろう。
どう考えても、無事では済まない。何をされるかもわからない。色恋で暴走した他人を、家の名前で止められるとも思えなかった。
何より、学園には彼女がいるはず。
「大丈夫ですよ、きっと。ルクシス殿下もいらっしゃるじゃないですか」
レインが安心させるように優しく言う。
その彼が、他の女性と結ばれると信じていることを、口に出しても意味はない。だって誰も信じていないもの。私だけが、彼のことを好きすぎて不安に思っているだけ、そんな風に曲解されている。
彼と婚約させられて嫌がるご令嬢なんて、きっと他にいない。仕方ないことだと思う。
両親だけは、私の意向を理解してくれている。父には何度も婚約の破棄をお願いしてもらったけれど、結果は却下。
魔法学園への入学を決めたのは、一つのけじめでもあった。キスまでしてしまった間柄である手前、スノウが現れるまでは諦めて現状維持に努めようと。
少しずつ、リハビリを兼ねて、屋敷内を歩いてみたりはするようになった。このまま学園に入るのは、流石に無謀だと感じたから。
「だけどお嬢様の身体が心配ではありますね。夢見も悪いのでしょう」
「そうね」
案の定、その日の夜だけは何も夢は見なかったけれど、以降は酷いものだった。
罵倒され詰られ、否定され殺される。それどころか、想い合う彼と彼女の姿までも鮮明になって、魔法学園の景色もより明確になって。
心身ともに酷い状態であることに変わりはないけれど、あんなことはもうあってはならないと、彼にも改めて伝えて、そうして接触は避けてくれるようになった。
はず、だ。
採寸を終え、シロネとレインに見送られ、自室に戻れば殿下がいて。流石に部屋の主がいないのに通すのはどうなのかと思いながらも、どうやら周囲には公認の仲になってしまっている手前、怒るに怒れず。
諦めて挨拶を交わし、いつもと違って今日は椅子に座る。
「リディシアと向かい合わせに座るのは、新鮮だね」
「いつもはベッドでしたから……申し訳ございませんでした」
「ああ、謝らないで。ベッドの上の無防備な君も凄く愛らしくて僕は好きだよ。いっそ隣りでずっと眠っていてくれれば、安心できるんだけどね」
それはどういう意味なのか。よくわからないけれど訊ねるのも逆効果な気がして、押し黙る。とりあえずできることを、と既に机の上に用意されていた紅茶をそそくさと準備し、カップに注いで、彼に渡す。
「……いいの?」
「あ、もしかして紅茶は嫌いでしたでしょうか、いつも飲んでいらしたので」
「いや、そうじゃない。好きだから、取らないで。飲むから」
慌てて下げようとした手を掴まれ、ソーサーごとするりと奪われる。
「君からお茶を淹れてもらえるなんて、夢みたいだな」
「無理して飲まなくてもいいので……」
「違うから。結構自発的なんだなあって。それだけだよ」
「……?」
「公爵家のご令嬢が、自分でお茶の用意をするのがね。ちょっと不思議で」
「殿下もずっとしていたじゃないですか」
何を言っているのかよくわからず、つい突っ込んでしまう。
「なら、役得かな? ふたりきりでいられるように取り計らってくれた彼らに感謝しないとね」
「はい……?」
「何でもないよ。……美味しい」
もう話はおしまいだとばかりに、彼は紅茶をひとくち含むと、穏やかに笑んだ。
茶葉を決めたのも、下準備を整えたのも使用人で、私はただ注いだだけなのだけれども。
自分でちゃんと美味しい紅茶を淹れられるようになりたいなと、何年振りかわからない前向きな思いを、このとき初めて持った。
そうして、月日が流れて、微妙な距離感を保ちながらも、少しだけ体力がついたり。色んなこと、は起きなくても、小さな変化を経て。
国立魔法学園、全寮制のその学園へと、私たちは入学した。