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 ルクシス殿下に抱きしめられたまま眠ってしまったあの日から、彼は度々私を訪ねてきては、一緒にいてくれるようになった。


「僕がいないと、悪夢を見るんだね」

「そうですね……ゆっくり眠れるのは、ルクシス殿下がいてくれるときだけなので。だから、その、ありがとうございます」

「ううん。僕が来たくて来ているだけだから、リディシアが気にすることじゃないよ」


 穏やかな時間が過ぎていく。

 手を繋いで、寄り添うようにして眠って。温かな体温に触れている間だけは、安心していられた。まるで魔法みたいに、幸せな眠りにつける。そうして、彼といることに、ゆっくり慣れていった。だけど彼がいないときに眠れば悪夢は顔を出す。

 時が経てば経つほどに、より一層色濃く、理不尽に。近づいた距離の分だけ、夢の中の彼は私に憎悪を向ける。


「…………」


 目が覚めるたびに、生きているのに死んでいるような気持ちになって。やがて彼との会話すら減っていった。年齢を重ねていくにつれて、一緒に眠ることもなくなり、その手に触れることもなくなる。婚約者とは名ばかりの、破綻した関係。それが私たちの間柄。

 元凶が自分であることはわかっていた。だけど、どうすることもできない。抗っても、心が死んでいくのだから。夢の中で彼に否定されればされるほどに、諦めて。きっとそんな未来なのだと、いつからか受け入れてしまった。

 だってほら、そっくりなのだもの。あの日からずっと見てきた夢の中の彼に、どんどん近づいていくルクシス殿下。希望を持つには無理がある。

 夢か現実か、今ではもうよくわからなくて。どうでもいいとすら思う。だけど彼は、今日も私の部屋を訪れる。静かに本を読む彼と、何をするでもなくベッドに横たわり天井を見ているだけの私。そうして、時たま会話が始まる。いつもの日々。


「ねえ、リディシア」

「何でしょうか」

「偶には、一緒に寝ようか。酷い顔色だし」

「……殿下、私たちはもう、子どもではないのです」


 その行為は、他者に酷い誤解を与える。例え私たちの関係が清くとも、外からそう見えるかどうかは別問題だ。ただでさえ、病弱令嬢を婚約者に据えていることについて、色々と言われているはずなのに。

 何より、そんなくだらない浮名のせいで、彼の将来を阻害したくない。


「ルクシス殿下、桃色の髪を二つに結わえた愛らしい女性に出会ったら、是非話しかけてあげてくださいませ」

「何の話?」

「貴方の運命の人の話です」


 ぎこちないなりに、どうにか笑みをつくって彼に向けて見せる。だけどルクシス殿下はといえば、怒りにも似た感情を見え隠れさせながら、顔を歪めていた。


「君がいるのに、他の女に現を抜かすと? 夢の中の男みたいになるって、やっぱりそう思っているんだね」

「現実は、わかりませんけれど。私には、貴方といるよりも、彼に否定される時間の方がずっと長いですから」


 もう疲れた。

 抗おうと悪夢は続く。振り払おうにも、死の瞬間の絶望も、痛みも、孤独も、取り残される哀しみも、何一つ変わらない。毎夜殺される慟哭が誰に理解できるだろう。

 彼といることが苦痛を生むのだと本能的にわかってしまうからこそ、この席を下りたい。私は王妃になりたいとは思わないし、叶うならば公爵令嬢でもいたくなかった。

 どうか静かに、安らかに。平穏に、誰とも関わらずに生きる道を。人並みは望まないから、せめて自分を拒むこの世界の、隅で生きて居させてほしい。


「不愉快だ」

「婚約を破棄してくだされば、それで私たちは終わりですよ?」

「嫌だと言っているだろう? 何度断らせるつもりなの。君の我儘で、この国のこれからを左右するの? 公爵家のご令嬢だというのに、随分と教育が足りていないようだね」

「王妃教育すら終わっていない身ですからね……」


 こうして怒られるのにも、慣れてしまった。それでも会いにくるのは、どうしてなのだろうか。これに関してだけは、聞いても答えてはもらえない。


「リディシア。君は僕をどう思ってるの」

「どうも思ってないです。できればもう、お別れしたいだけで」

「っ……」


 ああ、まただ。

 また、上手くいかない。きっと決まっているんだ。だから婚約は破棄できなくて、結局スノウが彼を奪っていくまでは、平行線なのだろうか。

 何一つ、思い通りにはいかない。主人公にはなれないのだと。そんなことは知っているから、逃げたいのに。それすらもできない。

 悪役だから? どうして、誰の都合で、こんな目に遭うのだろう。


『君のような醜い人間は、生きていることそのものが罪なんだ』


 思い出すのは、恐らく昨夜、彼がぶつけてきた言葉。本当に昨晩だったか定かではないけれど。似たようなことを何度も何度も言われればよくわからなくもなる。

 だけど、そう。生きていることが罪なら、死ねばいいのかな。そうすれば、楽になれる?


 おかしくなってしまっていたのだと思う。ふらりとベッドを出て、痩せ細った身体を引き摺って窓を開け放った。


「リディ、」

「…………」


 それが自然なことのように、そこに身体を滑らせて、足を掛けて、窓から。


「リディシアッ!」


 慌てて駆け寄ってくるルクシス殿下が、見上げればそこにいて。

 落ちていく感覚に、はっとする。


 飛び降りたのだと、理解して。

 だけどその身体が、抱き留められる。彼の腕だと、彼の匂いだと気づいてしまう自分が呪わしい。そうして一瞬だけ、目を閉じて開いたときには、とん、と彼の足が地面につく音だけがした。

 自分の足が、彼に支えられながら地に着く。もう少しで終われたはずの命は、やっぱり終わることなく、今も此処にある。


「……どうして」

「リディシア、何のつもりであんな真似を、」

「どうして死なせてもくれないのですか……っ!」


 彼が魔法で助けたのだと、理解して。こぼれ落ちたのはそんな言葉で。

 泣き崩れる自分と、それを今度はただただ茫然と見下ろすばかりのルクシス殿下という、いつかとは似て非なる光景。

 地獄のようなその様に、飛び出してくる人たちにも、優しく抱きしめ慰めてくれるメイドの彼女にも、目を向けられない。


「……どうして、信じてくれないんだ」


 届かなかった彼の声は、泣きそうなほどに震えていて、


「どうして」


 擦れ違ったままの運命は、軋み、外れ、そうして壊れてゆく。


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