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「久しぶり、リディシア」


 私は、段々とまともに日常生活を送る元気すら失い、半ば衰弱するようにベッドで寝かされる日々を、一週間は過ごしていた。

 そんな中、ルクシス殿下の突然の訪問。心当たりは一つしかない。


「婚約破棄……ですか?」

「ちーがーうー」


 冗談めいた言い方。いや、違う。気遣って、元気づけるつもりだったのだと思う。わざとらしい、砕けた口調だった。彼はこちらへ歩み寄ってきたかと思えば、唐突なお願いをしてくる。


「僕も一緒に寝ていい?」

「よ、よよよ、よくないです!」

「うん、いいよね。婚約者だからね。わーい、嬉しいなあ」


 恐ろしいほど子どもの演技が上手い! けれど最後は棒読み! そして話を聞いてくれない……!!

 するりと掛布団を開けたかと思えば、あっさり隣りに滑り込んできた殿下に、慌てて左端へ寄る。けれど。


「逃げないで」


 後ろからぎゅっと抱き留められて、呼吸が止まった。

 心臓が一瞬の間を置いて、凄い早く大きな鼓動音を立てて騒ぎ出す。半ばパニックになる私のことを落ち着かせるように、彼は優しく髪を撫でた。


「君が体調を崩したと聞いたから、お見舞いのつもりで来たんだけどね。いざ顔を合わせたら、触れたくなった」

「ど……どうして、ですか」

「好きだからかな」


 夢では、あんなに嫌っているのに? 現実は真逆だなんて、そんなことが有り得るだろうか。信じられないものを見るような気持ちで、彼の方へ顔を向ける。


「色々、聞いたんだよ。無理やり口を割らせただけだから、彼らを責めないで。夢の中の僕が、君に酷いことを言うらしいね。それも成長した姿で」


 ルクシス殿下は、非常に不快そうだった。

 そりゃあそうだろう。自分がしたわけでもないことのせいで、よく知りもしない女に警戒され、苦手意識を持たれ、それが婚約者なのだから。不愉快、だろう。


「先に言っておく。夢と現実は違う」

「違う……」

「うん、僕は間違ってもそんなクズみたいな真似はしない。そいつは別人だ。婚約者がいるくせに他の女性に現を抜かした挙句、自分の婚約者を逆恨みして殺すだなんて、人間性が死んでいる。論外だ」


 明らかに怒っている。

 でも、実際その通りだ。婚約者がいるのに、婚約したままで他の女性と親密にするだなんて、明らかに問題がある。例え夢の中で糾弾されたように、その結果として酷く扱われた女性が婚約者を奪った女性にきつく当たったとしても。被害者は双方だ。どちらかを一方的に責められる立場にはないのかもしれない。

 勿論、時と場合によるけれど。でも、先に筋を通さなかったのはきっと、夢の中のルクシス殿下、だと思う。多分、だけれども。


「ねえ、リディシア。僕がそんな人間に見える?」

「見えません!」


 考えるよりも先に、否定の声が溢れた。

 夢で何度も出会った彼を、否定したかったのかもしれない。だけどそれ以上に、今目の前にいるルクシス殿下こそが本物で、私に話してくれた言葉も本物で。

 信じたい。そう思ったから。


「よかった」


 彼は嬉しそうに笑ったかと思えば、私にすり寄ってくる。肌越しの体温に、ここがベッドの上であることを思い出す。


「殿下、あの、まだ婚姻前ですし」

「結婚したらもっと色々するんだから、別にこれくらいはいいんじゃない?」

「よくないです!」


 ふしだらはだめ。私も公爵令嬢だからそれくらいは教わっている。それに彼はこの国の第一王子だ。尚更問題だった。


「いいんだよ。こうして安心させられたら、君が僕を信じられたら。きっとそんな悪夢は見なくなるんじゃないかって、そのためでもあるんだから」

「……そうなの、ですか」

「はは、抵抗しなくなった。まあ確信があるわけじゃないけど、一つの対策にはなるんじゃないかな。僕のことを知っていくのは、さ」


 頭を撫でながら、彼の瞳がこちらを覗き込む。映り込む自分は、やっぱり不釣り合いだけれど。

 どうしよう。それなら、こうしていてもいいのだろうか。いや、世間体的なものを思えば非常によろしくない。けれど、気遣ってくれているのに、無碍にもできない。それに。


 それに、彼の体温がとても、心地よくて。


「全然眠れてないって、一目見ただけでわかった。だから、今ならきっと大丈夫だから」

「……本当に、嫌わないでいてくれますか。殺さないで、くれますか」

「そんなことするはずない。君を嫌うような僕は、僕が殺すよ」


 ああ、本気で言ってくれたのだな、と。安心したら、段々と眠くなってきた。


「おやすみ、良い夢を見られますように」


 彼は夢案内人のように、ふわっと笑って、そっとキスをする。それを受け入れながら、意識が落ちていく。


 その日は、久しぶりに、怖い夢は見なかった。



「……抵抗、しなかったな」


 不意打ちのようにキスしてしまったが、リディシアは微笑み受け入れ、そのまま眠りについた。腕の中で眠る愛しい少女は、可憐な花のようで。無防備で、あどけなくて、彼女と添い遂げられたらこれ以上の幸せはないだろう。そんな風に思う。


「キスの意味、知ってるんだよね? リディシア」


 そっと、頬を突いてみる。返ってくるのは規則正しい、甘い寝息。

 心臓が煩い。だけど凄く幸せで、嬉しくて、満たされている。


 初めて彼女を見たのは、もう随分前だ。幼い彼女を、城の式典後の宴で見つけた。

 公爵である父と共に来たらしい彼女は、どうやら逸れてしまったらしい。陰でぼろぼろと泣いている彼女を見つけ、慌てて声を掛けたのを覚えている。直ぐに彼女を探していた公爵も偶然見つけられて、迷子のリディシアは無事に帰ることができたのだ。

 それからずっと、公爵には気にかけてもらっている。リディシアに会う機会こそなかったが、人見知りであること、花や本が好きなこと、外で遊ぶと必ず敷地内でも迷うこと。色々と聞かせてもらった。どうしても、彼女が気になったから。


 国王陛下である僕の父はある日、そんな僕の行いを公爵から聞いたらしい。だが、咎めるどころか真逆の、想定外の贈り物をくれた。

 自分の婚約者は、リディシアになると。それは政治的な流れによる定めのはずだったのに、僕にとっては違うもので。


 ああ、きっとこれは運命だ。そう思っていたのに。


「拒絶されるとは思わなかったな」


 手を払い除けられたとき、どれ程傷ついたか。きっと彼女は知らない。知ってほしいとも思わないが。

 しかし、あの日はそれどころじゃなくなってしまった。過呼吸を起こし、泣き崩れながら意識を失ってしまったリディシアは、死んでしまったようにすら思えて。

 取り乱す僕を公爵が宥めようとしたものの、リディシアの状態に半狂乱に陥り、荒れる場の中で公爵夫人が公爵を、王妃である僕の母は僕をリディシアから引き剥がし、そうこうしている内に王城で勤務している医者が駆け付けた。

 地獄の様相。だけど、それだけ彼女は大切にされているのだ。僕もまた、そのひとりなのだろうか。

 血の気のない彼女の顔に、泣きそうになるのを堪えて。いや、公爵は泣きじゃくっていたが。大の大人が泣くんじゃありません! と怒る夫人も涙を浮かべていたが。何なら僕の母親も貰い泣きしていたが。

 しかし彼女は一日眠っても目を覚まさず、そのまま屋敷へ魔法で運ばれることになった。仕方がないことだとわかってはいたけれど。それでも王城で、目の届くところでと、我儘を言って父上を困らせて。その甲斐あって直ぐに会えたのだから子どもの我儘も役に立つ。

 自宅で療養し、彼女の容態は、少しずつ安定したらしい。

 一週間ぶりに会う彼女は、陽のひかりの差し込む部屋で、白いネグリジェを着て、その綺麗な髪をさらりと靡かせながら、風に揺れるカーテンの外を見ていた。

 絵のような光景。見惚れる、というのはこういうことなのだろう。

 あの日よりもずっと自然体な彼女は、だけど酷く怯えていた。僕に。


 どうして僕が怖いの? それを聞きたくて、だけど聞けない。怖かったからだ。情けない理由だけれど、これ以上彼女に拒絶されたくない。

 だけど、話している内に、彼女は落ち着いてきた。きっとこれからゆっくりでも距離を縮めていける、そうしていつかは恋人同士のようになれたなら。


 そう思っていたのに。

 夢の中の僕に、何度となく暴言を吐かれ、挙句に命を奪われるという。再び訪れた今日の彼女は、酷く衰弱しているように見えた。憔悴しきった彼女は余りに弱々しく、見ていて心が抉られる。よくもそんなことをしてくれたな、と彼女の夢の中の自分に殺意を向けながらも。

 それが、まるでそいつのようで、腹立たしく思う。だからこそ、彼女の前で否定してしまったのかもしれない。


 婚約破棄。そんなもの、するはずがない。手放したくないのだから。

 だが、彼女はそれを望んでいる。嫌われているのは僕で、拒絶されているのは僕なんじゃないのか。そう思いながらも、それでも良いと思えたのは、どうしてだろう。


 これが恋なのかは、わからない。

 だけど彼女が欲しい。この腕の中に閉じ込めて、一生そのまま離したくない。

 どうしてこんなにも彼女に固執しているのか。彼女の何に惹かれているのか。姿形、声音、話し方、表情、性格。思い浮かべて、首を振る。そのどれもが特別に思えた。初めて出会った日の泣き顔も、繋いだ手も、ありがとうと笑む彼女も、何もかもが焼き付いている。あの日、あのときには、彼女は僕に怯えてはいなかった。

 思い出しながら、目の前にいるリディシアに触れる。無防備なその寝顔に、初めて浮かぶ言葉。それを、そっと口にした。


「……リディシア、愛してる」


 もう一度、唇を重ねる。今度は許可を取ったとは言えないな。でも、さっきので十分だ。

 真っ赤に腫らした瞼が痛々しくて、そこにもキスをする。一つずつ、大切な彼女の触れられる範囲全てに、愛を注ぐように。

 どうか、もう悪夢を見ませんように。そして叶うなら、近い未来に君が僕を恐れなくなりますように。


 そう、願いながら。

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