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夏真っ盛り。衣替えはとっくに終わっていて周囲は誰もが半袖の中、リディシア様だけは長袖。
「リディシア様、どうして長袖なんですか?」
休憩中に何となく、隣りの席の彼女に問いかける。漫画だと「陽に焼けるのはお肌に悪いからよ」と言いそうな悪役令嬢兼最推しのリディシア様はしかし、
「……その、あんまり暑さを感じなくて。どちらかといえば、寒くて」
と、真っ白な髪と透き通るような肌に相応しい病弱な微笑みをこちらに向けてくれた。死ぬ。
「そ、そうなんですね! 教室は確かにひんやりしてますが、あたし的に外の気温すっごい暑いんです! でも、確かにリディシア様は汗ひとつ流してないですし、気温の変化に強いとかですかね? いや、寒いということはとどのつまりただ寒がりなのかも……?」
推しを前にして暴走する口。しかしそれを気にする素振りもなく、目の前の美少女公爵令嬢は困惑を浮かべながらも思案する。
「すみません、汗を流そうにも体育は身体的にもたない可能性が高いらしく見学で……」
「そうではなく! というか、てっきり殿下の意向かと」
「ルクシス殿下ですか?」
リディシア様は不思議そうに首を傾げる。可愛いんだけれども、悶えている場合ではないのでちゃんとお返事をしなければ。あたしはヒロインだけど今はただの庶民! 彼女は公爵令嬢で推し! しっかり内輪とペンライト装備し…ちゃだめだ!
「だってほら! 殿下、すっごい過保護でしょう? いえ過保護は全然いいんです、あたしもリディシア様相手には超絶過保護賛同派なので! でも殿下なら言いそうだなあって」
リディシアの肌を他の人に見せたくないからね、くらいは言いそうだ。まず海に行くことを許可させるためにそこそこ苦労したもの。
というか、この隠された肌の下に散々キスマークだったりをつけてそうだとも思った。そのせいで見せられないよ! なのかと疑っていたりもしたのだけれど。
「……スノウならまだしも、私にそんなこと言いませんよ」
あれえ……。
彼女に自覚がないのは何となくわかってはいたけれど、今の言い方はどこか嫉妬しているような、だけど諦めているような、まるで本来の彼女のようで戸惑う。
いや、本来というか漫画のリディシアはもっとこう、素直なのだけれども。今の彼女はやっぱり有紗なのだろう。不器用で、人の気持ちに疎くて、だけど優しい。
普通、自分の婚約者が異性と親しくしていたら不安になるだろうし、怒って当然だ。それが必要なことで仕方なくつるんでいるあたしと王子様だけれども、リディシアからすればそうは見えないだろう。
「リディシア様、つかのことをお伺いしますが」
「はい」
「肌に虫刺されみたいなの、最近あったりします?」
とりあえず気になったことをそのまま聞いてみる。
「……あります、ね。胸元とか、内腿とか。どうしてこう際どいところばかりなのかわからないのですが、スノウは防ぎ方とか知ってたり」
「んんっ」
やっぱりやってんじゃん!
記憶のないリディシア相手だろうとそういうことをしでかすのだという確信を得つつ、どうにか誤魔化す。気づいてしまってもいいのかもしれない、というかルクシスの自業自得だと思うけれど、今ここで説明するのも面倒だ。
「あれ、リディシアと何を話してるの。スノウ」
「あ」
何処かに教師と行っていた殿下が戻ってきて、慌てて話を切り上げる。リディシアもそれに合わせてくれて、事なきを得た。
あたしがバラしたとか、探ったとか思われても困るし。セーフだセーフ。だってあたしは王子様のことなんてそういう意味では関心は微塵もない。
今はただ、有紗に会いたい。彼女にもう一度ペンを持ってもらいたい。ちゃんと終わりまで描けなかったこの世界を、どうにかして終わらせたいのだ。
そうしないと、書き手も読み手も報われないから。どうすればいいのかはわからないけれど、ただ願う。
まあ、それを願おうとヒロインに転生している現実は変わらないのだけれども。
「どうしようね、本当に」
誰にでもなく虚空に問いかけつつ、教科書を用意する。次の授業はちゃんと起きて聞こうと心に決めながら。




