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 夏に差し掛かったある日。

 スノウが他の女子生徒に取り囲まれているのを、珍しくひとりで歩いていた昼休みに、渡り廊下から目撃した。


「……」


 吸い寄せられるようにそちらへ向かう。階段を下りて、中庭の影へ。


「アンタねえ、庶民のくせに殿下に馴れ馴れしくして! 挙句リディシア様にも媚びて、どういうつもりなの!」

「ええ~……」


 困ったように笑うスノウと、ルクシス殿下に好意的な……どこの令嬢様だっけ。どうでもいいけれど。彼女がスノウの肩を小突いたのを確認し、介入する。


「何してるの」


 ただ、それだけを呟いた。スノウと目が合う。驚きに目を見開いた彼女に続いて、振り返った女生徒たちも驚愕する。


「リディシア、公爵令嬢」


 そうか。この子達の方が、スノウよりは身分が上だけれど、私よりは下か。当たり前の事実を、怯える彼女たちから読み取り、その輪に割って入る。

 スノウを背後に庇いつつ、もう一度問う。


「何してるの」


 何となく、察してはいたけれど。つまりはルクシス殿下と仲のいいスノウへの嫉妬だろう。だからといって、これはない。……まるで、夢の中の私みたいじゃないか。


「リディシア様、あの」


 スノウが私の手を掴む。大丈夫だから、と言おうとしているのがわかったけれど、この状況を放っておくことはできなかった。


「あ、貴女が悪いのよ! 殿下の婚約者のくせに、公爵家のくせに、庶民なんかとっ」

「……そう」


 必死の形相で叫んでくる彼女が、まるで自分のようで悲しくなる。そんなものは、そんなものでしかないのに。


「でも、こんなことは何にもならないし……きっと、嫌われるだけだから、やめた方がいいと思うの」


 どうしたらいいのかわからなくて、彼女たちに微笑みかけることしかできない。どうしてそうしたのか、自分でもわからなかったけれど。


「…………っ」


 それを見た彼女たちは、逃げ出してしまった。

 余程、私の顔が怖かったのだろうか。

 ただそれを黙って見送り、振り返ったとき、スノウがその手に抱え込んでいた書類をはらはらと落としていたことに気づく。小突かれたときに手を滑らせたのかもしれない。

 しゃがみ込んで拾ったときに、それが何かに気づく。


「これ、漫画……?」


 ずきりと、頭が痛む。脳が揺れたような感覚に一瞬だけ呻いて、だけど手は自然と動いた。

 そこでようやく、スノウもはっとしたように動き、書類を拾い始める。私も拾ったそれを返し、絵と文字が描かれた紙を全て集め終えたとき、彼女は泣きそうな顔で笑った。


「リディシア様、やっぱり有紗ですよね。漫画のこと、思い出してくれたんですかっ!」

「ええと、その」


 何だか懐かしい響きに、しかし答えられず迷っていると。背後から、誰かに抱き留められた。慣れた感覚に、誰なのか思い至りつつ。


「遅かったですね、ルクシス殿下」

「ああ、ちょっと野暮用が長引いてね。……まさかリディシアが首を突っ込んでるとは思わなかった。離れるときに大人しく教室に戻るように言ったはずなんだけどな」


 そう。さっき呼ばれた殿下に言われた通りに教室に戻るつもりで歩いていたのに、どうしてもスノウを放っておけずに来てしまった。

 ふたりはどこか打ち解けた様子で、居心地が悪い。弁明することもできず、何も言えずに抱かれたままになっていると、ルクシス殿下の手が髪を撫でた。


「あのねリディシア。こういうときは教師なり、僕なり、誰かを呼ぶようにしないといけないよ。危ないから」

「はあ……」


 別に手をあげられたわけでもないのに大袈裟な気がするけれど、大人しく頷く。


「スノウ」

「あ、そうですね! あたしはそろそろ戻りますんで! ごゆっくり!」


 そう言うなり、スノウは私と彼に頭を下げて、そそくさと去っていった。


「リディシア、帰ろうか」

「え、授業は」

「どうせもう学び終えている内容だ。君に魔法を使わせないように強制している以上、授業なんて意味もないだろうし。使い方を覚えられて、逃げられても困る」

「え……?」


 今、彼は何と言っただろうか。

 私に、魔法を使わせないように強制している?


「あの、殿下。魔法を使ってはいけないのは、スノウと殿下の魔力がまだ体内に残っているからでは……」


 彼は何の感情も宿していないような表情で、ただ私をその濃紺の瞳に映す。


「そうだね。そろそろ、それくらいは話したほうがいいか」


 抱きしめられたまま、魔法が発動するのを感じ。気づけばそこはいつもの庭園だった。


「リディシア、お茶を淹れてくれるかな」

「は、はい。それは全然」

「ありがとう」


 言われるままに、授業にも出ずにお茶の準備をする。

 いつの間にか、こうして彼に眺められることにも慣れてしまった。


「最近は僕と寝ていても夢を見るんだよね」

「え、あ、はい。あの夢なら」


 彼に殺される夢なら、毎夜のように見ている。尋ねられた意味がわからずに頷くと、ルクシス殿下は「まあそうだろうね」と言った。


「君と僕の繋がりはとっくに途切れてる。この先、君が僕を思い出すこともないだろうし」


 淹れ終えたお茶を手に取りながら、彼はそれをそっと覗き込む。


「それは……どういう、意味ですか」

「そうだね。少し長くなるけれど、話していこうか」


 一口お茶を飲んだ後。真っ直ぐに向き直り、ルクシス殿下は話し始めた。


「まず君に魔法を使わせられない理由だが、君の中にはスノウと僕の魔力が一度流れている。スノウのものは抜けきったようだけれど、僕のものは同化しているんだ」

「同化、ですか?」

「それが原因で、記憶が戻りきらないって言われた。だからきっと、君に思い出してはもらえないと諦めたんだけど、やっぱり少し寂しいね」


 悲しげに微笑む彼に、言葉を失う。

 思い出せたら、きっとこんな顔をさせずに済んだはずなのに。心が痛んで、だけどその理由も今の自分にはよくわからない。


「ごめんなさい」

「謝ることじゃないよ、君に悪気なんてないんだから。それに、元はといえば僕とスノウが巻き込んだんだ。生きていてくれただけで十分だよ」


 彼は一拍置いて、話を移した。


「それで、その僕の魔力が流れていること、もっと言えば同化していることがね。君が魔法を使えば明らかになる。気づかれれば終わりだよ、君は一生国で管理される。そうせざるを得なくなるんだ」

「……?」


 一瞬、彼の表情が陰った。だけどそれは本当に一瞬だけで、いつものままの表情に戻り、淡々と語り出す。


「王族の魔力は特殊なんだよ。それに、リディシアはまだ調べ終えていないけれど素養も特出している。君を自由にすることは、もう出来ないんだ」


 一つずつ。聞きながら整理していく。

 元々、この国の貴族は魔力を持つものが大半で、魔法が家を継ぐ条件にもなっているくらいだ。魔力がない人間はいないけれど、魔法に変化するほどに持っている者は当然血筋がある。

 スノウのような規格外は、また別だけれど。彼女はそもそも孤児だったというから、元を辿ることもできない。

 私の家は、魔法に秀でてはいても、それだけを特色にしているわけではない。だけど殿下曰く、私は特別、らしい。どうしてそんなことを断言できるのかはよくわからないけれど。


「君の正体を明かせば、余計な噂もシャットアウトできるだろうけれど。生憎、そうもいかない事情がある。どれだけ双方不本意だろうが、今はスノウとの関係を断つことはできない」

「え、ええと……」

「今の段階では、まだリディシアを守り切れていないから。目立たせたくないってことだよ」


 つまり、気遣ってくれているのだろうか。段々と理解の範疇を超えてきて、しかもところどころ煙に撒かれているようで、ついていけなくなってきた。


「どちらにせよ、君とスノウの将来は半ば決まってしまっている。野放しにしたり、他国に渡らせるわけにはいかない。スノウの場合はディードリヒなり、クラウスなり、あとはあいつか。貴族連中の誰かと結ばれれば、保護も容易いが。そうでなければ不自由を強いることになるだろう。とはいえ、スノウ本人はそれにも了承しているけれどね」

「え、えっと、あの、全然お話に、ついていけないのですが、つまりは私もスノウも、所謂危険人物扱いということでしょうか……?」

「危険、というと少し語弊があるけれど、国からすれば管理対象だ。君のそれも僕の両親は気づいている。逃がすこともできないし、僕と結婚しないからって自由になれるわけじゃないよ。それに、そもそも僕らはキスしてしまった間柄だからね」


 今更、この関係を変えることはできない。彼は暗にそう言っていた。

 つまりは、それが原因なのだろうか。


「だから、私が邪魔なのですか」

「は?」

「だ、だって、私がいなければ殿下はスノウと……何の障害もなく」


 それ以上は言えなかった。

 呆れているような、幻滅しているような、よくわからない顔をした彼は、首を振る。


「そもそも僕はスノウに何の感情も持ち合わせていない。いつまでその誤解は解けないんだろうな」

「……そう、ですか」


 本当に、そうだろうか。

 彼はスノウといるときだけは楽しそうに見えた。気を許して素のままに話していたと思う。何よりスノウは可愛くて明るくて、元気で優しくて、陽だまりみたいで。憧れた。

 彼女の方が魅力的なのは自明だ。だから、思ってしまった。その結果が、あの夢なのかもしれないと。私は邪魔になるんだろうかと。

 どこかで、今日スノウを取り囲んでいた彼女たちのように間違ってしまいつつあるのではないのかと。そう、思った。

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