北方戦線
エレオノール隊は、なだらかな丘陵地を進軍していた。聖都を出発してからすでにひと月が過ぎている。季節は春から初夏に移りつつあるのだが、北へ北へと進んでいるためにいっこうに暖かくはならない。西方に見える山々に目を向ければ、その頂上付近には未だ白雪が残る。
「この辺りは、聖都周辺と景色が違うね…」
聖都周辺にも丘陵地はあったが、そこと比べるとこの辺りの草は背が低く樹木も針葉樹林が多い。植生が違うために、景色もかなり違って見えた。
「そうでありますね」
椿の斜め後方を進んでいたボゥホートが答える。
「この辺りは冬になるとかなり雪が積もります。今はようやく雪が溶け終わったといった所でしょう」
「そうなんですね。それじゃあ、冬に配属にならなくて助かりましたね…」
「雪が積もれば行軍もままならなくなりますからなあ。しかし、それ故に北統王国は攻めるに固く守るに易い国となっております」
北統王国――聖王国の北部に位置する国で、正式名称は『ヒュライゼン王国』自ら北方の支配者を名乗っているため『北統王国』と呼称される事が多い。西にはティグラム山脈、南東にはラルゼ海といった地形的な障害があるため周囲からは攻められにくい。さらに、ボゥが述べたように冬になれば雪が積もり進軍もままならなくなる…という事で、極めて守りの固い国だった。
もっとも、そんな北統王国にも弱点はある。ひとつはティグラム山脈の北部に切れ目がある事…この点については、西方の大国『帝国』ことガイゼリウム帝国と同盟を結ぶ事によって対処している。そしてもうひとつの弱点、ティグラム山脈とラルゼ海の中間部については…世界最大とも言われる要塞『巨大要塞』を築く事によって守りを固めていた。これに対して聖王国側も聖王国北部守護要塞…通称『北部要塞』を建設したため、両軍は睨み合いを続けている――という状態だ。
「僕らエレオノール隊の役目はどんなものになるんだろう…?」
「通常であれば、北部要塞の守備、北方帝国の牽制といった所でしょうが…状況が状況です。巨大要塞攻略の最前線に立つという事もあり得るのではないでしょうか」
「あ、ボゥさんもそう思うっすか?」
ひょこりと顔を出したエマも会話に加わった。
「やっぱ、攻めるなら今しかないっすよねえ」
つまりはこういう事だ。聖王国では幾度となく巨大要塞攻略の作戦が立てられてきた。聖王国北方の脅威であるから、それを排除したいと思うのは当然だろう。しかし、それが実行に移される事はなかった。それは何故かと言えば、西方に帝国の存在があるためだった。
巨大要塞を攻めれば、北統王国の同盟者たる帝国が介入してくるだろう。そうなれば、聖王国vs北統王国・帝国の1国対2国の戦いになる…圧倒的に不利だ。だが現在、聖王国と帝国は休戦中である。今ならば、1国対1国の戦いを挑めるという事だ。
「でも、休戦中って言っても帝国が約束を反故にするかもしれないよね?やっぱり、同盟国である北統王国を攻めれば帝国が黙っていないんじゃないかな?」
「その心配はないっす。ヒューゴ大将軍は帝国の西にある『連合国』を叩くために出陣してるし…もう一人の大将軍も、帝国内で起きた反乱の鎮圧に当たっててすぐにこっちに駆けつける余裕はないはずっすから」
「そっか…元々、帝国から休戦を持ちかけてきたんだもんね」
「その通りであります。それ故、この期に聖王国は二つの戦線――すなわち、カイ義兄たち聖騎士七騎の投入されている東方戦線、そして我々の向かう北方戦線で戦果を挙げねばならないのです」
と、ボゥは意気込む。
「そして、最終的には帝国と雌雄を決するって事っすね」
「やっぱり最終的には帝国と――」
椿は、言葉を交わした帝国軍人たち――すなわち、ヒューゴやシャルンホスト、フィレルやホイサー兄弟の顔を思い浮かべる。あの強敵と、今度は命を賭けて戦うことになる…そう思うと、少し憂鬱になった。
(いや、帝国どうこうの前に、まずは目の前の敵…北統王国の事を考えないと)
例え帝国が介入して来ないとしても、巨大要塞は世界最大規模の要塞である。攻略が容易でない事は明らかだった。
「ツバキ――」
隊の先頭を進んでいたエレオノールが振り返り、椿の名を呼んだ。椿は馬を進ませ彼女の横に並ぶ。そこは丘陵の頂上で、眼下の景色がよく見えた。
手前には街ひとつをすっぽりと包み込む巨大な要塞――すなわち、北部要塞。そしてその向こうには、いっそう巨大で堅牢な要塞都市が見えた。あれが巨大要塞…これから椿たちの挑む場所だった。




