千人隊編成10
強い風が吹いていた。春風だというのに、体の芯から温かさを奪っていくような寒々とした風だった。
椿の周囲には膝ほどの高さの石板が無数に並んでいる。全て墓だ。聖都の端にある共同墓地を訪れていたたのだ。ここには軍事関係者の墓が並んでいる。ある石板の前でしゃがみ込んだ。そこに花を手向ける。墓石には、ウィル・ユンカースと名が刻まれていた。
ボゥホートやロランがエレオノール隊に加わってから、すでに5日が過ぎている。元ヌガザ城砦兵達も加入し、今では隊は700人程に膨れ上がっている。エレオノールやエマ、ボゥホートといった隊の幹部は人員の把握や装備の調達などに駆け回っていた。椿もまた、解析を使用し有用な人材の把握に努めていたのだが、
「私たちはあと数日で聖都を出立する。そして、次に戻って来るのはいつになるか分からない…もし何かやり残した事があれば、今のうちにやっておいで」
というエレオノールの勧めに従い、半日だけ休みをもらいここを訪れたのだった。
「ユンカースさん」
返事はない。ただ、風の音が鳴るばかりだ。瞳を閉じ、ユンカースと共に戦った日々に想いを馳せる。彼の拳が自分の胸を打ったその感触、それは今でもありありと思い出す事ができる。
5分ほどもそうしていただろうか。背後から、
「よ、軍師殿。ユンカース隊長の墓参りかい?」
と、懐かしい声が聞こえた。振り向き顔を上げる。そこには、ヘルムート・リヒターの姿があった。ヌガザ城砦で共に戦った戦友であり、かつてのユンカース隊副長でもある。
「リヒターさん…どうしてここに…?」
「どうしてって…そりゃま、あんたと同じ用事さ。ユンカース隊長の墓参りだ。…めんどくせえが、時々顔を見せねえと隊長が俺を恨んで化けて出てくるかもしれねえからな」
リヒターは、相変わらず気怠げな雰囲気を醸し出していた。しかし、それがある種の愛嬌になっているから不思議だ。
「それより久しぶりだな。元気してたかい?」
「はい。僕もエレナも、エマも…おかげさまで元気に過ごしています」
「そりゃ良かった。そうそう、エレオノール隊が千人隊に昇格したんだってな。おめでとさん」
「ありがとうございます」
「ま…俺だったら、昇任なんてしても全然嬉しくないけどな。仕事増えてめんどくせえじゃん」
「リヒターさん、相変わらずですね」
椿は思わず苦笑してしまう。
「当たり前だろ?俺はよ、とにかく楽して生きたいんだ。軍だって、入って二、三年でやめるつもりだったんだからな」
「そうなんですか?」
「ああ。二、三年軍で働きゃあ、ある程度まとまった金が入るだろ?それを元手に商売を始めて、軌道に乗ったら店は他の奴に任せて俺は隠居して…後は悠々自適の暮らしをするってのが俺の人生設計だったんだ」
「へえ…」
若いうちから隠居する計画を立てているなんていかにもリヒターらしい、と思った。
「ま、軍上層部なんてロクな奴がいねえからな…金を貯めたらさっさと辞めるのが賢明ってもんだろ」
「ううーん…そう言う気持ちも分からないではないですけど…」
「ま、俺もそんな事を言いながらもう何年も軍にいるわけなんだけどな。…ある戦いで、俺はユンカース隊長の下で働く事になった。…珍しい隊長だった。自分の出世より、部下の命を大切にする隊長ってのはよ」
リヒターは過去を懐かしむように笑った。
「それで、この人の下でならもう少し働いてみるのも悪くねえかもなって…そんな風に思っちまった。それから何年も、ズルズルと…気がつきゃあ、隊の副長にまでなってた。副長なんてめんどくせえだけなのに…。らしくねえ事したな」
「でも…それだけ、ユンカースさんの事を慕ってたって事ですよね?僕もその気持ちは分かります」
「ま、ユンカース隊長と一緒にいて楽しかったのは確かだ。隊長は孤児だった。だからこそ、俺たちの事を家族みたいに思ってくれてたんだろな」
「え…?孤児…そうなんですか?」
確か、ユンカースは聖都には家族がいると言っていた。そんな彼が孤児だというのは意外な言葉だった。
「ユンカース隊長にとっては、仲良くなった人間はみんな家族みたいなもんだったんだろうよ。だから自分の部下も、一緒に酒を飲んだおっさんも、近所のおばさんも…みんな家族みたいなもんだったんじゃねえかな」
椿は、ユンカースが時折見せる人懐っこい笑みを思い出した。
「そう…だったんですね」
「ま、俺とは違うな。俺は知り合いみんな家族だなんて思わねえ。むしろ家族なんてめんどくせえ…。ユンカース隊長がいない以上、軍にも未練はない」
「それじゃあ…リヒターさんは、軍からは離れるんですか?」
「ああ、そのつもり――だったんだけどな」
「え?」
気がつけば、リヒターの口元から気怠げな笑みが消えていた。彼は、椿の顔を真っ直ぐに見つめる。
「ユンカース隊長はよ。最後、あんたになんて言ってた?前に伝えてもらったが…もう一度教えてくれ」
「…はい。城砦防衛の指示、僕への励まし…それと…」
「確か、『リヒターの奴を上手く使ってくれ』そう言ってたんだよな」
「その通りです。でもそれは、城砦防衛についての話で――」
「俺はそうじゃねえと思うんだ」
リヒターは、の口調は断定的だった。
「あの戦いの後も、あんたと共に行け――俺は、隊長がそう言っていたんだと思っている。…なあ、ツバキ。俺はめんどくさがりだから一度しか言わねえぜ」
リヒターはゆっくりと息を吸い込んだ後、言った。
「――俺を、あんたと一緒に戦わせてくれ」
「リヒターさん…」
「ユンカース隊長は、あんたが切り開く未来を期待していた。その手助けを…俺にさせて欲しい。もちろん、ユンカース隊長がそうしろって言ったからって理由だけじゃない。俺自身が、あんたと一緒に戦いたいと思うからだ」
「それは…」
迷いなく頷く事はできなかった。もちろん、戦力の事だけを考えるのであればユンカースが千人隊に入ってくれるのは有り難かった。しかし、リヒターが期待しているような存在に自分がなれるのか――その確たる自信はなかった。それでも、考えに考え抜いた末…椿は口を開く。
「はい。――どうか、僕と一緒に戦ってください、リヒターさん」
椿は、リヒターの顔を真っ直ぐに見つめ返して答えた。リヒターは表情を崩す。
「あー…良かったぜ。格好つけて言ってはみたものの、『あなたみたいなテキトーな人は、うちの隊に要りません』って言われるかもしれないってちょっとビビってたからな…」
「そ、そんな事言いませんよ…!」
冗談だよ、とリヒターは苦笑する。
「それじゃあ…改めてよろしくだな、軍師殿」
リヒターが拳を突き出した。
「はい――よろしくお願いします」
椿も拳を突き出す。二人の拳が触れ合った。




