千人隊編成8
椿とボゥホートがアンスバッハ邸に到着した頃には、すでに日は沈みかけていた。
「あれ…?」
アンスバッハ邸の門前に人影が立っている。夕暮れ時で顔がよく見えないが…どうやら屋敷の人間ではない。不審に思いながらも歩いていくと、向こうもこちらの様子に気がついたようで椿たちの方に近付いてくる。
「お待ちしていました」
人影が言った。女性の声だ。さらに近付くと、その顔も見える。美しい亜麻色の髪と瞳を持つ、二十歳前後と思われる女性だった。
「えっと…待っていたって…?」
どうしてこの女の人が自分を…?と一瞬悩んだが…すぐにその理由について思いが至った。
「えっと、もしかして…中型亜竜に襲われていた女の人?」
「はい」
先ほど中型亜竜に襲わた所を椿とボゥホートが助け出した女性だった。彼女は椿に視線を向けて、
「ツバキさん、ありがとうございました。おかげで命を救われました。…心からお礼を申し上げます」
「いえ…僕は、大して役に立てませんでしたから…。実際に助けたのは、ボゥホートさんですし…」
「はい、勿論、そちらの騎士様にも感謝しております。…ボゥホート様、とおっしゃられるのですか?」
女性は、今度はボゥホートに視線を向ける。
「はい、私の名はボゥホート・ネヴィルと申します」
「ボゥホート様…あなたにも心からの感謝を申し上げます。…ありがとうございました」
「いやあ、騎士として当然の事をしたまでであります。それに…ツバキ殿が中型亜竜の注意を引きつけていてくれたお陰で上手くいったのです。やはり、ツバキ殿のお力による所が大きいと私は思いますね」
「はい…本当に、ツバキさんには感謝してもしきれません」
そう言って、女性は椿の手を取る。
「本当にありがとうございます。…二度も私の命を救ってくださって」
「二度…?」
いったいどういう意味だろう…と、椿は首を傾げた。
「覚えていませんか?ヌガザ城砦で…一度お会いした事を」
「ヌガザ城砦…?」
もちろん、城砦で行われた戦いの事は覚えている――忘れられる訳がない。その記憶の糸を辿る。あの戦いで顔を合わせた女性と言えば…エレオノール、エマ…後は…。
「もしかして…救護担当で城砦にいた…」
そうだ、確かユンカースが息を引き取った時…椿と共にその最後を看取った女性がいた。それが彼女だった…ような気がする。
「はい、私は城砦内で負傷者の看護にあたっていました。ツバキさんと顔を合わせたのは一度だけ…その一度にしたって、私の顔を覚えていられるような状況ではなかったでしょうから」
その通りだった。ユンカースの最期、その瞬間はもちろん記憶に焼き付いている。目を閉じれば今すぐにでも蘇って来るほどだった。しかし、それはユンカース自身の姿と言葉のみ…それ以外の周囲の状況については、記憶が朧げだった。それだけユンカースの死というのが椿に対して大きな衝撃を与えたのかもしれない。
「でも…私は、あなたの事を覚えています。――私は、負傷者の手当てをするために志願して城砦に残りました。でも、城砦内に竜が侵入して、私のいた場所まで襲われて…もう駄目だと思ったその時、あなたの立てた作戦が竜を無効化してくれました。そのおかげで、私は助かったのです。二度までも命を救っていただき…本当に、お礼のしようもありません」
女性は椿の手を強く握りしめ、感謝と畏敬の込められた瞳で椿を見つめた。
「いえ、感謝しているのは私だけではありません。城砦にいた兵達…みな、ツバキさんに心から感謝しています。――だから、せめてお役に立たせてください」
「え?」
「エレオノール殿の千人隊…兵が集まらないと聞きました。どうか、あなたに命を救われた私たちをエレオノール隊に加えていただけないでしょうか。…私以外にも、志願する者は数多くいます」
「え、でも…エレオノール隊に入るのは、上層部に止められてるんじゃ…」
エレオノール隊には人を回さないよう上層部から圧力がかかっているはず。無理に入ろうとすれば、妨害は入るはずだ。
「覚悟はできています。…実際に、エレオノール隊への移動を志願して降格させられた方もいます。それでも…私たちはあなたと共に戦いたいのです」




