予備役
アンスバッハ邸に戻ると、一足先に帰っていたエマが出迎えた。彼女にもエレオノールの昇任を伝える。
「ええええ!?エレオノール隊長、千人隊隊長に昇任っすか?千人隊隊長って言ったら中級指揮官じゃないっすか!?おめでとうございまっす!」
小躍りしながら「わーいわーい!」とはしゃぐエマ。さらに、
「みんなー!エレオノール隊長が昇任したっすよー!」
と使用人達にまで伝えて回る。それだけエレオノールの事を慕っているという事だろう。そんな様子を見ながらエレオノール苦笑し、
「おいおい、私を祝ってくれるのはいいけれど…自分の事も気にかけたらどうなんだい?」
「へ?」
エマは、ぽかんとした顔でエレオノールを見返す。
「エマ。いや…リッツ副長。君は私の副長なんだよ。君も准指揮官から下級指揮官に格上げ…千人隊の副長を務めると共に、弓兵隊を率いてもらうつもりだ」
「ええええ!?自分がっすか!?そんなの…」
無理――と言いかけ、ぐっと口を引き締めた。
「い、いや…!分かりましたっす!頑張るっす!」
そう言って、決意に満ちた瞳でエレオノールを見上げた。
「ありがとう、エマ。頼りにしているよ。何しろ昇任に加え、北部要塞への移動も命じられたからね。慣れない地だ。正直言って、不安も多い」
「ノ…北部要塞っすか?り、了解っす!しっかりとエレオノール隊長を支えてみせるっす!」
エマはビシリと敬礼した。それに対し、エレオノールは柔らかな笑みを返す。しかし…椿はそのその笑みにどこか陰りがある事を感じ取った。
(…どうしたんだろう。異動はともかく、昇任は嬉しい事のはずなのに)
不思議な思いでエレオノールの横顔を見る。何故彼女の笑顔に陰りがあるのか――その理由は、後日分かる事になった。
「…大要塞に行ってくるよ」
そう言って、屋敷を後にするエレオノール。エレオノールの昇任が通達されてからすでに十日が過ぎている。その間、彼女は大要塞に通い詰めだった。その理由は…、
「千人隊に配属される人達がまだ決まらないみたいだね」
と椿。やや沈んだ声色だ。
そう、エレオノールが大要塞に通い詰めているのは、エレオノールの配下となる兵達が配属されないためだった。彼女は毎日大要塞に通い、軍上層部に掛け合っている。しかし芳しい返事を得られていなかった。
「そうっすね。なんとか決まって欲しいんっすけど…」
エマは心配そうに窓の外を眺める。椿とエマ、二人に出来る事はない。ただただ、屋敷で待ち続けるしかなかった。
「こういう事ってよくあるの?」
「まさか!こんな事なかなかないっす。多分、王太子か…その取り巻き達が人事にちょっかいを出して嫌がらせしてるんっすよ。エレオノール隊長の下には兵を回さないようにって」
エマの眉尻が不安そうに下がる。
「――ごめん。それって、僕が王太子に余計な事したからだよね」
「いやいや、ツバキっちは全然悪くないっすよ!元々エレオノール隊長は上層部に睨まれてたんっす。昇任だって、本当ならもっと早くても良かったくらいっすよ」
確かに、と椿は思う。エレオノールの能力は聖騎士のイゾルデやカイと比べても遜色がない。彼女たちと同レベルの地位についていてもおかしくはないのだ。
「これはもしかして、予備役から兵を回されるかもしれないっすね…」
エマは憂鬱そうに、「ううーん」と唸る。
「予備役って?」
椿は、窺うようにエマの顔を覗き込みながら問いかけた。
「そうっすね。ツバキっちは、予備役の人たちには会った事がなかったっすよね。――聖王国軍には、大きく分けて二種類の兵士がいるんっす。それが正規兵と予備役っす。正規兵って言うのは、きちんと軍人としての訓練を積んでる兵士…つまり、今までツバキっちが見てきた兵隊さんたちのほとんどっすね」
そう言われ、椿は今まで目にした兵達を思い浮かべる。確かに、程度の差こそあれ皆軍人に相応しい精悍さを持っていた。
「それに対して、予備役ってのは…普段は別の仕事を持ってて、いざって時だけ駆り出される非正規の兵隊さんなんっす。一応、年に五日くらいの訓練は受けるんっすけど…正直、戦力としてはアテにならないっす。どうしても人が足りなくなった時に街の警備なんかに駆り出されるのが関の山で、普通は前線に出るような人たちじゃないんっす」
つまり、農民や職人と言った一般人が駆り出されるという訳だ。
「そんな人ばっかり配属されて、大丈夫なの?」
「…残念ながら大丈夫じゃないっす。元々エレオノール隊長の指揮下だった百騎隊の100人は別としても…残りの900人がほぼ素人ってなったら、まともに機能しないっす。それに、千人隊だと隊長の下で指揮を取る部隊長も4、5人はいないといけないんっすけど…きっと、そういう人たちも回して貰えないっすよ。もしそうなったら――隊はまともに機能しなくなるっす」




