帰還
「ファストルフ卿、ネヴィル卿、アンスバッハ殿。それと…ツバキ・ニイミ。よくぞ戻られた」
大要塞内、キルヒナー城に戻った椿達をバスチアンが労った。
「此度の任務成功、軍上層部もお喜びになられておられますぞ」
バスチアンはイゾルデとカイに笑顔を向ける。相変わらず顔色が悪かった。
「今回最大の功績を挙げたのはツバキだ」
カイが言った。イゾルデも続いて、
「そうね……今回最も活躍したのは、軍師さんね……私なんて、ただ会談の席に座っていただけでした」
とカイの発言に同意する。
「むう…」
バスチアンは椿に視線を向けた。
「またもやお主が活躍するとはな。…これは、本当に出世するかもしれんな」
そう言って椿の顔をまじまじと覗き込んだ。
「初めて会った時は、ただの子供としか思えなかったがな。…ああそうそう、出世と言えば」
と、今度はエレオノールに視線を向けるバスチアン。一度咳払いをして、
「アンスバッハ殿」
とエレオノールの名を呼ぶ。
「軍上層部より、貴公に二つの辞令が下された。一つは、北部要塞への異動」
エレオノールの表情が僅かに固くなる。しかしバスチアンの言葉に抗うような事はせず、
「はい。謹んでお受けします」
と簡潔に返答した。
「そして、二つ目だが…貴公に対する昇任の辞令だ。――おめでとう、貴公は千人隊隊長に昇任だ」
「イゾルデさん、カイさん。…お世話になりました」
部屋から出た後、椿はイゾルデとカイに別れの言葉を述べた。二人は、これから元いた戦地…すなわち東方戦線へと戻るのだった。
「ふふ、私は何もお世話なんてしていないけれどね。はあ……ネヴィル卿ばかり軍師さんと仲良くなったみたいでズルいわ。私ももっとお話ししてみたかったのに……」
イゾルデはカイに悪戯っぽい視線を向ける。
「ファストルフ卿は、アンスバッハ殿と親しくなれたのだからそれでいいだろう」
そう言ってカイはイゾルデの視線を受け流し、椿に歩み寄る。
「――また会おう、椿」
「…はい、また会いましょう、カイさん」
カイの顔を見上げる椿。そんな彼を、カイはじっと見つめる。…見つめ続ける。
「あ、あの、カイさん…?」
「ああ、すまない。つい見惚れてしまっていた。お前があまりに可愛くて…」
(いやいやいや!)
と心の中で突っ込みながら、椿はエレオノールを窺う。
どうやら、エレオノールはイゾルデと会話中でカイの言葉は耳に入っていない様子だった。
もし聞かれてしまっていたら、色々と面倒な事になる所だったので、ひとまずほっと胸を撫で下ろす。
「えっと、その…カイさんと一緒に戦えて良かったです。お元気で」
「ああ。…怪我をするなよ、ツバキ」
二人は握手を交わした。
ふと、カイに壁に押し付けられたのは(壁ドン)この廊下だった事を思い出す。あの時は絶対に仲良くなれないと思ったものだが…そんな相手と親密に手を握り合っているのが、椿には少し不思議な気がした。
イゾルデ、カイと別れ、キルヒナー城を出ようというその時…、
「おい、ツバキ・ニイミ。ちょっと待たんか」
と声をかけられた。振り向くと、そこには先程別れたばかりのバスチアンの姿があった。わざわざ追ってきたという事は、何か伝え忘れた事でもあったのだろうか。そう思っていると、バスチアンは純白のハンカチーフを取り出した。
「そのう…ワ、ワシには妻がおってな」
と、出し抜けにそんな事を言い出した。
「はい、それは知ってます。娘さんもいるんですよね?確か、この聖都に住んでるって」
「うむ。そうなのだがな…そのう…そのカミさんに、お前の事を話したんだ」
「…?」
「どこから来たかも分からぬ子供が、武勲を立て勲章を貰うなど面白い話のタネだからな。するとな、ワシのカミさんは…お前のファンになってしまってな。恐ろしき帝国兵にも怯まぬ勇敢な少年…という」
そこまで言って、バスチアンはハンカチーフをずいと差し出した。
「このハンカチにサインを書いてくれんか。そうすると、そのう…カミさんの機嫌が取れるはずだ」
「ええ…」
「頼む。ワシを助けると思って!」
そう言ってぐいぐちとハンカチを押し付けてくるバスチアン。
「僕、サインなんて書いた事ないですけど…いいんですか?」
「大丈夫だ!おお、そうだ『勇ましきバスチアンの妻、聖都一の美女ミゲーラへ』と一言書き添えてくれるとなお嬉しいがな」
(まさかこんな所でサインをねだられるとは…)
――人生って分からないもんだなあ。そんな事を思いながら、ハンカチの上に羽ペンを走らせた。




