護衛任務完了
人質交渉は当初の予定よりもスムーズに進行した。それは、模擬戦闘で椿達が勝利した事により無償の人質返還を勝ち得た事が大きかった。
「ツバキ軍師、この度は貴公の活躍により聖王国には予算的な余裕ができた。会談が纏まったのは、そなたの尽力の賜物よ。いや、天晴れなるぞ」
とは、ビューロー宮廷伯の言だ。
そのため、10日前後かかると思われていた会談は5日ほどで終了した。会談成功に沸き立つ宮廷伯一行だったが、一方の帝国軍はと言うと…模擬戦闘で敗北したフィレルに非難が集まっている様子だった。
聖王国兵は城砦を発つために東門前に集まっていた。その中には、もちろん椿の姿もある。ようやく今回の任務も終わる…と、安堵に胸を撫で下ろしかけたその時、西方からこちらへ向かってくる3名の帝国兵の姿が見えた。
「ツバキ・ニイミ」
近付いてきた帝国兵…フィレルは、椿の名を呼んだ。彼女の後ろにはマルセルとルボルの兄弟が続いている。フィレルの顔はどこか沈んでいるように見受けられた。模擬戦闘の敗北により憔悴している様子だった。
「なんでしょうか?」
椿は馬から降り、フィレルの方へと一歩前へと進み出た。模擬戦闘前の勝ち気なフィレルの態度を思い出し、身構えた…が、彼女の口から発せられたのは予想外の言葉だった。
「…負けたわ」
「え?」
「――あなたの前で、きちんと負けを認めていなかったでしょう?だから、それを伝えに来たの」
「わざわざ、そんな…」
「言っておくけど、あなたのために来た訳じゃないわ。私のため。あなたに負けた事を認めないと、私は前に進めないと気がついたの」
フィレルは自嘲気味に笑い、今度はエマとカイへ視線を向ける。
「リッツさん、ネヴィル卿」
「は、はいっ」
突然名前を呼ばれ、背筋をピンと伸ばしながらエマが返事をする。カイは僅かに視線を上げただけだ。
「あなた達にもしてやられたわ。私よりもあなた達の方が強かった。これが戦場であれば、今頃私の命は無かったわね。…見事よ」
「「儂らも同意見です」」
フィレルの後ろに控えていたマルセルとルボルが同時に頷いた。
「ツバキ殿をはじめ、東軍の戦いぶりは素晴らしいと言う他なかった」
とマルセル。
「兄者の言う通りだ。此度の戦い、儂らにとって大いなる学びとなった」
ルボルが続く。
「そんな…僕のほうこそ」
椿がルボルに視線を向けた。
「ルボルさん…模擬戦闘の最後、僕への攻撃を止めてくれましたよね。あのまま、僕を攻撃する事もできたはずなのに。もしそうなっていたら僕は大怪我を負う所でした。僕の方こそ、ルボルさんの騎士道に敬意を表します」
「友よ!」
突然、ルボルが近付いてきて椿の体を抱きしめた。
「うわっ!」
「こちらこそ、そなたの気高き精神に対し心より敬意を表すぞ!」
ルボルの逞しい腕に強く抱きしめられ椿は苦しさを覚えるが、
「ぼ、僕の方こそ…」
と、なんとか抱きしめ返した。その様子を見てマルセルが、
「ネヴィル卿!」
両手を広げてカイに駆け寄った。ルボルが椿に対してそうしたように、カイと抱擁を交わすつもりなのだろう。しかし、カイはさっと身を翻す。
「む!?」
マルセルは残念そうに眉尻を下げた。
「オレは体を痛めているのでな。抱擁は遠慮させてもらう」
「おおう!それは失礼いたした!」
マルセルが申し訳なさそうに頭をかく。
「気にするな。例え怪我をしていなくとも、お前のようなむさ苦しい男と抱き合うなどオレ嫌だから…」
「ちょ、ちょっとカイさん!」
椿は、また余計な事を言い出しそうなカイの発言を遮った。カイもその事に気がついたらしく、一度咳払いして、
「…だが、マルセル・ホイサー。お前の実力は本物だった。このオレが、窮地に追い詰められる程にな」
そう言って左手を差し出す。カイとマルセルは握手を交わした。
「あ、あの…フィレル将軍っ」
エマがフィレルに手を差し出す。
「その…自分も、勉強になりましたっす!またいつか模擬戦闘でお手合わせ願えれば嬉しいっす!」
「ええ、その時を楽しみにしているわ」
エマとフィレルも互いの手を握り合った。
椿達を見下ろす位置にある建物内の一室。そこには憂いを帯びた表情の壮年男性…ヒューゴと、白髪にやけ顔の青年、シャルンホストが並んでいた。ヒューゴは西の空を、シャルンホストは椿達に視線を向けている。
「いやあ、敵味方の間に芽生える友情!素晴らしいですねえ!」
シャルンホストが感極まったという身振りと共に声を張り上げる。もちろん、心からそう思っての態度ではない。
「大将軍閣下、あなたはお見送りしなくて良かったんですかあ?」
まるでヒューゴを挑発するように彼の顔を覗き込むシャルンホスト。しかしヒューゴは意に介さず、
「必要ない」
と短く答えた。そして椿に視線を移す。この位置からでも分かる華奢な体。一見すると軍人には相応しくないように感じられる。しかし――ヒューゴは確信していた。
「彼が私の求めていた人材だという事は、模擬戦闘ではっきりと分かったからね」
「ふうん…それって、確定ですかあ?」
「まず間違いないだろう。だが、事が我々の思惑通りに運ぶかはまだ分からないがね。――ひょっとしたら、彼は私の最大に敵となるかもしれない」
「あの子供がですかあ?」
まさか、といった様子で椿を見下ろすシャルンホスト。
「信じられませんね」
「信じられなくともいいさ。その時が来れば――」
ヒューゴの瞳に光が宿る。彼の心の内から染み出してきたような、暗い光が。
「ただ全力で叩き潰すまでだ」




