カイ・ネヴィル
「すばらしい戦いを拝見させていただきました。よくあのような大胆な策に打って出ましたね。もしも凡庸な将であれば、定石通りに戦い、それなりに健闘して見せた後…負けていたでしょう。勝利の女神を強引に微笑ませる戦術の妙。お見事でした」
戦いを終え観客席に戻った椿に対し、ヒューゴは惜しみない賞賛を送った。
「いえ…僕の作戦は穴だらけでした。うまくいったのは、みなさんのお陰です」
「あはははは!そうご謙遜なさらずとも」
シャルンホストはいつもと変わらぬにやけ顔だったが…すぐに笑顔を消して、
「いや、本当ですよ。私とした事が――思わず身を乗り出してしまいました。光栄に思ってください。私がこんな風に素直に他人を褒めるなんて、あまりないんですよ?」
と、率直な賞賛を送った。
「約束通り、捕虜10名は返還させていただきましょう。手続きがあるため、すぐにとは行きませんが――大将軍の名に誓って、必ず」
「はい、信じています」
椿はヒューゴと握手を交わした。
「それじゃあ…失礼します」
本当はもう少しヒューゴと話をしてみたい気持ちもあったのだが、手傷を負ったカイの様子が気にかかった。椿、そして彼と共に戦った兵達は広場を後にする。その後ろ姿に気がついた者がいた。敗軍の将の一人、ルボル・ホイサーだ。彼は少年の背中に対して拍手を送る。さらにそれを見たマルセルも続く。そして別の兵、さらに別に兵も。
最初はまばらだった拍手は、万雷の喝采へと変わっていた。敵であるにも関わらず…いや、敵であるからこそ彼らは椿に惜しみない拍手を送る。いずれ戦場で見える相手だが、今だけはその鮮やかな戦いぶりに心からの憧憬を抱く事が出来るのだ。
椿が去った後――ヒューゴは、自分用に与えられた部屋へシャルンホストと共に戻っていった。その後をフィレルが追う。
「大将軍閣下」
ヒューゴに追いつくなり、その足元に跪いた。
「…申し訳ありません。私の未熟さゆえ、大将軍閣下の顔に泥を塗ってしまいました」
「確かに今回の君の働きは決して褒められたものではなかった。正直な感想を述べるならば…君には落胆したよ」
ヒューゴは、さして感情のこもらぬ口調で言い放った。フィレルの胸が締め付けられる。平民出身である彼女を将軍にまで引き立ててくれたのは、他ならぬヒューゴなのだ。
「あはは、私は大将軍閣下と違って落胆なんてしませんでしたよ?だって、元々期待してませんでしたから」
そう軽口を叩いたシャルンホストにヒューゴは鋭い眼光を向ける。
「シャルンホスト参謀長。よく舌が回るのは君の取り柄だが…それもあまり過ぎると君自身の身を滅ぼしかねないよ」
「あははは、すみません。何しろ私、この世の全てを憎んでいるもので――あなたと同じく」
シャルンホストの唇が皮肉げに釣り上がる。ヒューゴは、それ以上シャルンホストと会話を続けようとはしなかった。再びフィレルに視線を戻す。
「何故君が負けたのか――それが分かった時、再び私の下に来るがいい」
ツバキ、エマ、カイ。それと戦いに参加した騎士達は食堂へと戻った。すでに夕刻だったが、まだ会談は終わっていなかった。ひとまず全員椅子に腰を下ろす。誰からともなく、ため息が漏れた。敵地での戦いにみな緊張していたのだ。勝利した事による喜びよりも、安堵の方が大きかった。
「エマ、傷は大丈夫?」
フィレルの突きを受けたエマを心配し、椿は声をかけた。
「大丈夫っす。そんなに強く突かれた訳じゃないんで…ツバキっちの方こそ大丈夫っすか?」
「うん、僕も大丈夫だよ。直接攻撃を受ける事は無かったから。他の皆さんも、怪我はありませんか?」
「大丈夫です、軍師殿」
「まあ、みんな痣くらいはできてるでしょうがね。二、三日もすれば治りますよ」
戦いに参加した兵達が笑顔で答える。彼らは元々、カイやイゾルデの部下だった者達なのだ。椿は、今の戦いで彼らの信用を勝ち取っていた。
「…オレは部屋に戻らせてもらう」
カイが立ち上がった。
「あ、カイさん。カイさんは、怪我とかしてませんか?」
椿は、カイが左肩を脱臼しながら戦っていた事には気がついていない。――と言うよりも、カイはそれを誰にも悟られないようにしていた。戦いが終わった直後、自身で肩をはめたのだ。しかし、この戦いで最も激しく敵の攻撃を受けたのがカイである事は、椿にも分かっていた。
「…大丈夫だ」
それだけ言って、カイは姿を消した。
「本当に大丈夫っすかね?」
エマが心配そうに後ろ姿を見送る。
「ネヴィル隊長はいつもあんな感じなんですよ」
カイの部下が答えた。
「干渉されるのを嫌うというか…部下である俺らから見ても、ちょっと真面目すぎて心配になりますよ。もちろん、隊長のそんな所が嫌いじゃないからこそ、俺たちはついて行ってる訳ですがね」
確かに、椿から見てもカイは頑なにすぎるよう感じた。ひょっとしたら今も無理をしているのではないか。それを隠すために部屋に戻ったのでは――そんな考えが頭を過ぎる。
「僕、ちょっとカイさんの様子を見てくるよ」
そう言って、椿はカイの後を追った。
食堂のある建物の二階と三階が聖王国軍用の居室になっている。階段を登り、カイの部屋がある3階へ進む。
(確か、カイさんの部屋は…あ、あそこだ)
カイの居室の前まで辿りつき、ドアをノックした。
「カイさん、ツバキです。もし良ければ少し話をさせてもらえませんか?」
しばしの沈黙の後、
「入ってくれ」
と、部屋の中からカイの声が返ってきた。ドアを開け、中へと入る。部屋の中では、鎧を脱ぎ騎士制服姿となったカイがベッドの端に腰掛けていた。
「いったい何の用だ」
カイの声は、微かに上ずっているように聞こえた。やはりどこか負傷しているのかもしれない。
「その…余計なお世話かもしれませんけど…カイさんの体が気になって。…怪我とかしてませんか?」
「怪我をしていないと言ったら嘘になる。しかしこの程度の怪我には慣れている。心配は無用だ」
カイは、淡々とそう言い放った後、少し躊躇うような口ぶりで、
「しかし…オレの体調を気にかけてくれた事には…その…感謝する」
と、付け加えた。邪険にされる事を覚悟していた椿は、少し驚いた。
「それよりも、いい機会だ。オレの方こそお前に話がある」
「え?何ですか?」
「…こちらへ来い」
そう言って、カイは右手を差し出した。椿は、カイに招かれるまま近付く。そして…突然、カイに腕を掴まれた。
「カイさん…!?」
手を引かれ体勢を崩す。そのままベッドに押し倒された。椿の上にカイが覆い被さる。
「カイさん、いったい何を…!?」
ベッドで仰向けになった椿を、カイが睨みつける。
「以前、話が途中で終わっていただろう」
「話…?」
「初めて会った、あの日の話。その続きだ。――改めて問わせてもらおう。貴様、王太子を殴ったという話は本当か?」




