お姉ちゃんと呼んでくれ
「あー!あの馬鹿ヨハンネス!マジ腹立ちますね!むかむかっすよ!むかむか!」
事の顛末を聞いて、青髪少女は地団駄を踏んだ。
「あの、ヨハンネスって?」
椿が疑問を口にする。
「王太子様のお名前だよ。王太子、ヨハンネス二世ことヨハンネス・フォン・リーゼンバッハ殿下」
「あーまじ大バカ王太子!」
「…こら、不敬だぞ」
エレオノールは青髪少女を嗜めた。エレオノールを思っての王太子に対する悪罵なのは明白だったが、言い過ぎだと判断したのだろう。
「だって…!それに、王太子…殿下だけじゃなくて、幕僚たちも酷いっすよね。エレオノール隊長を後方に回すなんて。隊長が優秀だから嫉妬してるんっすよ。あいつら!それに、隊長の家柄は…」
「喋りすぎだよ」
エレオノールは、鋭い口調で青髪少女の発言を遮った。青髪少女ははっとなり、自らの口を抑えた。
「す、すみません、隊長…」
「いや、いいんだ。私のためを思って言ってくれている事は分かっている」
エレオノールは青髪少女の頭を撫でた。慈しむように、艶のある青髪、そのひと房ひと房に指を通す。
「さあ、何にしてももう命令は発せられたのだ。私たちは後方に下がらなければならない。準備を急ごう。まずは兵たちへの伝達を頼む」
「はい!」
青髪少女は勢いよく天幕から飛び出していった。天幕に残されたのは、椿とエレオノールのふたりとなる。
「あの…エレオノールさん」
「ん?なんだい、ニイミ君」
エレオノールも何かの作業に移りかけようとしていたようだが、椿に声をかけられたために手を止めた。
「心配せずとも、君の安全は保証する。私の名誉にかけてもね」
「はい、それは…疑っていません。その、心から感謝してます。けど、その…」
椿は、申し訳なさそうにエレオノールを見上げた。
「僕のせいで…戦いに参加できなくなってしまって…」
エレオノールは、椿を庇ったために後方へと回された。結果、次の戦いには参加できなくなった。平和な世界に生きていた椿にしてみれば、
(戦いに参加しないでいいなんて、ラッキーじゃん)
というような考えも頭に過ったが、軍人であるエレオノールの立場を考えればそうも言っていられないだろう。彼女にとっては、戦いこそが職務なのだ。椿は、エレオノールに庇われる事によって、彼女が活躍する機会を奪ってしまった。
「なんだ、そんな事を気にしていたのか」
エレオノールは笑顔を作った。
「元々、私は王太子殿下にはあまり好かれていなかったからね。こうなったのは私の不徳の致す所さ」
「でも…」
「ふふ、優しいな、ニイミ君は」
エレオノールは椿の肩に手を乗せると、優しく引き寄せた。柔らかな胸に顔が埋まる。
(うっ…ぐっ…!)
やはり、体が固まる。素直に甘えられるような度胸は、やはり椿にはなかった。かと言って、突き放すというような事もできない。結果、ただただ棒のように硬直してエレオノールの豊かな胸の膨らみに顔を埋め続ける事になった。
「しかし、ニイミ・ツバキとは…改めて不思議な響きの名前だね。ツバキなどという姓は、聖王国はもちろん帝国人や諸国連合出身者にも聞いた事がない。」
「あ…い、一応、苗字…姓の方が新見で、椿は名前なんです」
たわわな胸部に挟まれる心地よい息苦しさに包まれながら、椿はなんとか答えた。
「むっ…そうだったのか。それは失礼した。では、ツバキ君と呼ばせてもらってもいいかな」
「ツバキ、って呼び捨てにしてもらっても大丈夫です」
「そうか。それならそう呼ばせてもらおう。私の事もエレナと読んでくれ。あと、できればもっと砕けた口調で話してもらいたいな。その方が私にとって喜ばしい」
「えっと、分かりました…じゃなくて…分かったよ、エレナ」
少し躊躇はあったが、その方がいいと言われれば素直に従う他なかった。
「ふふ、なんならお姉ちゃんと呼んでくれても構わないよ」
「えっ…」
流石にそれは気恥ずかしかった。年上の女性をお姉ちゃんと呼ぶような年齢でもないし…何より、人の目というものがある。
エレオノールも、椿のそんな気持ちを察したのだろう。
「…いや、気が乗らないのならいいんだ」
そう言ったエレオノールの声は、明らかにトーンが落ちていた。気落ちしたようだ。
(そんなにお姉ちゃんって呼ばれたかったのか…)
「まあ、何にしても…」
エレオノールは、仕切り直しとばかりに「こほん」と咳払いをした。
「しばらくは行動を共にする事になる。よろしく頼むよ、ツバキ」
「うん…エレナ」
椿は、エレオノールの胸の間から顔を出して答えた。