決戦92
商業都市スルズ。メギド平原から15kmほど離れた場所にある、北統王国第二の都市だ。アイヒホルン軍との開戦前、グロスモント軍はこの都市のすぐ傍に駐屯しこの町から食料を購入していた。スルズは首都でこそないが、物流という観点から見れば北統王国の随一の都市である。
スルズには無数の穀物庫が建ち並び、そこにはこの周囲一帯の町、村々の人間が一年は食べていけるだけの麦が貯蔵されている。アイヒホルンはそれを全て焼き払うという。傍らに控える兵はその未来を想像し、唇を震わせた。
「ス、スルズの穀物庫を焼いてしまえば…餓死者が出ます。それも、百万単位の」
今は秋。麦は全て刈り取られ穀物庫に貯蔵されている。そんな状態で穀物庫を焼き払ってしまえば、食べる物のなくなった民衆は飢えに苦しむ。それどころか餓死する者すら大量に出る事が予想された。
「それがどうした」
アイヒホルンは冷淡に言い捨てる。
「民衆がいくら死のうが私の知った事じゃない。重要なのは、これで聖王国軍の奴らに大きな打撃を与える事が出来る…その事実だ。何しろ、民衆は|聖王国軍が穀物庫を焼いた《・・・・・・・・・・・・》と認識するんだからな」
唇の端を吊り上げるアイヒホルン。彼の作戦はこうだ。
スルズには町中に穀物庫が点在している。現在偵察兵として使用している人員の一部を割き、それらを全て焼き払う。そしてその際、兵達には聖王国軍の甲冑を身につけさせる。そうする事でスルズの住民に聖王国軍が穀物庫に火をつけた、と認識させる――というものだ。
「し、しかし…聖王国軍の甲冑などどうやって手に入れるのですか?」
「この会戦で敵軍から入手したものが数十着程ある。それで十分だ」
「数十人で穀物庫を全て焼き払えるのでしょうか…?」
「今さら何を言っている。おい、貴様。作戦の概要を把握していないのか?」
アイヒホルンはため息を吐いた。
「スルズ穀物庫の警備は手薄だろうが、さすがに全て焼き払うには千人程度の兵が必要だ」
穀物庫の警備が手薄というのには理由がある。穀物というのは重くかさばり、持ち運びの便利な貴金属などに比べ窃盗の対象となる危険性は少ない。また、穀物庫を焼こうなどと考える狂人もそうはいないものだ。それ故、ひとつの穀物庫につき2、3人程度の警備…というのが通常だ。
とはいえ、点在する穀物庫を全て焼こうと思えばそれなりの人員が必要になるだろう。千人というのは、そうやって導き出されたものだ。
アイヒホルンは言葉を続ける。
「だが、千人全てに聖王国軍の姿をさせる必要はない。市民の目につく場所で放火をする際にだけ聖王国偽装兵を使えばいい。それで十分印象付けられるだろうさ。残りの兵は、どこの国の所属か分からないよう甲冑を脱がせて任務に当たらせる。これで、穀物庫を焼き払われた怒りは聖王国軍に向かう。さらに、放火現場には聖王国兵の持ち物を残しておく。偽装工作についての余念はない。貴様は余計な事は心配せず、ただ私の伝令として命令を伝えに行け」
「…」
「あとはどうなるか見ものだな。民衆が聖王国軍に対して暴動を起こすか。それとも、聖王国が巨大要塞から食料を送りスルズ周辺の民衆を救うか。…まあ、後者は難しいだろうな。この周囲全ての人間を食べさせるだけの備蓄は巨大要塞にはないだろう。なんにしても、聖王国軍の進軍はここで止まる。食料の現地調達が出来なくなる訳だからな」
得意げに話すアイヒホルン。対して、それを聞く兵たちの顔には徐々に暗い影が落ちていく。
「か、閣下は…」
「ん…?」
「閣下は、平気なのですか…?」
「私はこの作戦が成功したのを見届けた後、北統王国王都、アトゥーンに戻る。そこには十分な食料の備蓄がある。私が飢える心配はない」
「ち、違います…!」
兵が聞きたいのはそういう答えではなかった。
「アイヒホルン閣下は、スルズ周辺の民衆を犠牲にして…平気なのでしょうか。その、つまり…心は、痛まないのですか…?」
「無論だ。――いいか?スルズは聖王国軍に対して食料を売っていた。これは北統王国に…そしてその同盟国たる帝国に対する背信行為だ。そんな奴らの命など、私の知った事ではない」




