アンスバッハ邸
アンスバッハ邸では、ツバキ歓迎のためのささやかな宴が催された。アンスバッハ邸の人々は、ツバキを快く迎え入れてくれた。しかし、みなの疲れを考慮し宴は早々に切り上げられて…、
「はあ…柔らかいベッドがこんなに素晴らしいものだなんて…」
自身のために用意された部屋で、椿はベッドに体を沈めた。大兵舎でも一応はベッドで休んだのだが、緊張のためにまともに眠る音ができなかった。ここに来てようやく心の底から休む事ができそうだった。
(思えば、色々あったなあ…)
エレオノールに助けられ、包囲網に突入し、城砦を守り…思い返せば全てが幻のようだ。それらの記憶に思いを馳せる内に…椿は、深い眠りの中に落ちていった。
夢すら見る事のない深い眠りも永遠に続く事はない。椿は徐々に覚醒し…目を開いた。
「朝、か…」
一瞬、ここがどこだろうと考えて…すぐにアンッスバッハ邸である事を思い出す。
「よく寝たなあ…」
ベッドから起き上がり、部屋の外に出る。すると、エマとばったりと遭遇した。薄ピンク色のワンピースという姿だった。屋敷ではこういう格好なのだろう。
「あ、ツバキっち。おはようっす。て言っても、もうお昼前っすけど」
「え、もうそんな時間?」
自分が思っていた以上に長く眠っていた事を知らされ驚いた。
「やっぱ疲れが溜まってたんっすねー。エレオノール隊長も好きなだけ寝かせてあげようって言ってたから起こさなかったんっす」
「ありがとう、おかげでよく眠れたよ」
と言った所で、お腹がぐう…と音を立てた。
「…もしかして、お腹空いてるんすか?」
「あはは、そうみたい」
「じゃあ、昼食前の軽食の準備をするんでバルコニーで待っててくださいっす」
「あ、ちょっと待って…」
と引き留めようとした時には、すでにエマは駆け出していた。
「…バルコニーってどこだろ」
ひとまず適当に歩き回ってみるか…と屋敷の中を歩き始めたが…、
「あれ、さっきと同じ場所に戻ってる」
いつの間にか堂々巡りをしていた。さて困ったぞと思っていた所で、低く落ち着いた声がツバキの名を呼んだ。
「ツバキ様」
そちらを向くと、高年の騎士…ホフマンが立っていた。執事風の燕尾服に身を包んでいる。
「いかがなされましたか?」
「ああ、ホフマンさん。えっと、その…バルコニーを探してるんですけど、迷っちゃって…」
「なるほど。それでしたら、こちらです」
ホフマンが先に立って歩き出す。1分程歩いた所で、屋敷の二回から突き出したバルコニーに辿り着いた。
(…こんなに近くだったのか)
バルコニーには椅子とテーブルが並べられ、エマはすでに席に着いていた。
「あ、ツバキっち、どこ行ってたんっすか?」
「バルコニーがどこにあるのか分からなくて、迷っちゃってて…。ホフマンさん、案内してくれてありがとうございます」
「それでは私ここで」
ホフマンは僅かに微笑み下がっていった。
椿は席に着く。
「…ホフマンさんって、なんだかいかにも『老紳士』って感じで素敵だね」
「そうっすねえ。エレオノール隊長もホフマンさんにはいつも助けられてるって言ってるっす」
エマはお茶を淹れながら答えた。
「でも、いつも一歩後ろに下がってるというか…あんま前に出ようとしない方なんっすよね。そこもまた紳士っぽくて格好いいんすけど」
エマは、お茶の入ったカップとビスケットの乗った皿を差し出した。椿は「ありがとう」と礼を言って受け取る。
「ん…このお茶、変わった味だね。でも…美味しい。なんだか目がしゃきっと覚めるような…」
「そう言ってもらえて良かったっす。自分が育てたハーブを調合して作ったハーブティーなんで。へへ…」
と、嬉しそうにはにかんだ。
「へえ…エマって、ハーブを育てたりするんだ」
「まあ、一応エルフの血を引いてるっすからねー」
「えっ!?」
寝耳に水の言葉だった。エマが…エルフ?
「言ってなかったっすか?自分、エルフの末裔なんっすよ。ほら」
そう言って耳元の髪をかきわける。確かに、エルフの特徴…先の尖った耳が見えた。
「ま、エルフの末裔なんてっても別に特別な力がある訳じゃないっすけどねえ。寿命も人間と同じだし、幻想物語みたいな魔法が使える訳じゃないし。ただ、ハーブ育てたり狩りをしたりってのがちょっと得意ってだけで」
「そっか…」
初めは驚いたが、エルフの血を引くとはいえ別段特別な力があるという訳ではないらしい。それに…、
(エルフの血を引いていようとなんだろうと、エマはエマだよね)
と思い直す。
「でも、やっぱりエルフっているんだね」
「ツバキっちはエルフの末裔に会った事がなかったんっすか?」
「僕のいた世界…っていうか、住んでた場所には…いないかな。僕の記憶では」
「へー…そうなんっすねえ。ま、エルフにしても獣人にしてもみんな人間の血が混じって、特徴を受け継いでる人なんてほとんどいないっすからね。ああ、ただ…城砦を襲ってきた竜兵たちの隊長は、滅びたって言われてる伝説の竜人の血を色濃く引いてるっぽかったっすね。あのパワーは完全に人間離れしてたっす」
「エルフ、獣人、竜人…」
この世界はヨーロッパの中近世風世界だとなんとなく思っていたが…やはり、自分の元いた世界とは違う。そして自分はこの世界の事を知らなすぎる…と改めて思う。
「ん?どしたんすか?」
「いや、僕は世界の事を全然知らないなって思って」
「ま、それも仕方のない事っすよ。まだ記憶も曖昧なんっすよね?」
「うん」
「だったら、これから知っていけばいいだけっす。自分に分かる事であれば、このエマ先生が教えるっすよ!」
どん、と自らの胸を叩くエマ。
「あはは。それじゃあ…早速だけど聞いていいかな」
「はい、なんでもどうぞっす」
「この国の事なんだけど…その、単刀直入に言うから…気分を悪くしたら申し訳ないんだけど…」
「大丈夫っす。エンリョはいらないっす」
「じゃあ、聞くけど…この国の軍って…ひょっとして…もの凄く弱い…?」




