国王
「はあ…」
去ってゆく王太子を見届けると、国王は深いため息を吐いた。
「あの…国王…陛下」
椿が口を開く。
「…申し訳ありません。もし、罰を受けるのなら…どうか僕だけにしてください」
「いや、罰など与えはせん。挑発したのはあやつ…ヨハンネスの方だ。むしろ、よくやってくれたと思っている」
「え…?」
「今まで、あやつの事を殴ってくれるような者はおらんかったからな。…これであやつも少しは変わると良いのだが」
王は、窓の外へと視線を向けた。
「あやつは、今の世が分かっておらん」
深い哀切の込められた声。
「もし、平和な世であったのなら…王族という地位にふんぞり返っていても良いのかもしれん。しかし、今は乱世だ。愚かな王では他国に攻め込まれ、臣下もまた従いはせぬだろう。何故、あのような子に育ってしまったのか。…儂が甘やかしすぎたか」
目を瞑り、眉間に指をあてる。
「儂は…凡庸な王だ。秀でた力があってこの地位にいる訳ではない。ただ、王家の血を引いているという、それだけの人間だ。実際に国を動かしているのは貴族達だ。それでも儂が王たり得たのは二つの理由があったからだと思っている。一つは、儂は自身が凡庸な王だと自覚していたという事…。それ故、我を通そうとはせず貴族達に政務を任せる事によって国を保ってきた。もっとも、そのせいで門閥の貴族が幅を利かせる事になったのだが…」
王は皮肉げな笑みを浮かべた。
「もう一つの理由は、世の中が平和であった事。これに尽きる。地方領主の反乱、国家間の小競り合い。数十年に一度、そういった出来事が起きはしたものの…今のように、大国同士がその存亡を賭けて争うなどという事はついぞなかった。だからこそ、儂のような凡庸な王でも玉座に腰を下ろし続ける事ができたのだ。しかし、ヨハンネスにはその二つともが欠けている。愚かであるにも関わらず己の力を過信し、世界は乱れ…いったい、この先どうなってゆくのか。…アンスバッハ」
「…はっ」
「貴公は、何のために戦っている?」
「私は――」
エレオノールは、少し躊躇って…しかし、はっきりと王の顔を見据えて言った。
「私の両親は、多くの者が健やかに過ごせる世が訪れて欲しい…そう願っていました。私も同じです。そのために戦っている――これで、答えになっているでしょうか」
「貴公らしい返答だな。そして、やはり貴公こそが――」
その先を言いかけて、口を閉じる。
「いや、やめておこう」
王は哀しげに笑った。
「偉そうな事を言ったが、儂はやはりこの玉座を手放したくはない。そして、あの愚かな息子を…ヨハンネスを愛しておる。どうか、この先も儂のために――とは、言わん。聖王国のために、戦って欲しい」
「はっ」
「ヘルムート・リヒター。エマ・リッツ。そして、ツバキ・ニイミ。その方らも、よろしく頼む」
「…はい」
「みんな、ごめん。身勝手な事をしてしまって」
小離宮を出た所で、椿は他の三名に謝罪の言葉を述べた。
「…みんなにも、迷惑がかかる所だったかもしれない」
「何言ってんの、軍師殿」
リヒターが椿の頭をぽんと叩いた。
「軍師殿がやってなくても他の誰かが殴ってたさ。リッツのお嬢ちゃんとかな」
「え、え!?自分は殴ったりしないっすよ。…まあ、ツバキっちが王太子をぶん殴った時は、ちょっとスカっとしたっすけど…」
「ツバキ、君はどう思ったんだい?」
エレオノールが問いかける。
「え?」
「王太子殿下を殴ってすっきりしたかい?」
「…どう、だろう。よく分からない。でも…もうああいう事はしたくない…かな」
「うん。私は、君の行いが正しかったのか間違っていたのか、それは分からない。国王陛下が仰られていたように、君の行いで王太子殿下の何かが変わるのかもしれないし…変わらないのかもしれない。ただ、君の成すべき事は他にあると思う。つまり…」
「アホ王太子の事は忘れて、早く返ってベッドでゴロゴロしようって事っすね」
エマが言葉を引き継いだ。
「あー…賛成」
とリヒター。
「む…私の言いたかったのはそういう事ではないのだが…確かに私達が今最も欲しているのは暖かいベッドである事は…否定できないな」
やれやれ、といった表情でエレオノールが微笑んだ。それに釣られるように…椿の表情からも笑みがこぼれた。




