喝采
ティグラム山脈越えは楽な道のりではなかった。道幅は狭く、急勾配も多い。さらに城砦軍には負傷兵もいたし…巨大な『荷物』もあった。しかしそれらは先発させ、馬や牛に引かせる事によって対応した。
このような険しい山越えは椿にとって初めての経験であったが、弱音を吐く事はなかった。確かに辛い山道ではあったが、ヌガザ城砦での戦いよりはましだった。
数日がかりで山脈を越え、平野部に達する。道幅が広くなった。もっとも、平野部とは言っても道の周りには鬱蒼とした森が広がっていた。ここで、聖都から出迎えにきた数十名程の聖王国軍と合流した。
彼らの先導で先に進むと、森が開け丘陵地帯に出た。背の低い草が茂り、遠くには湖が見える。美しい景色だった。しかし、それに見惚れている余裕はない。みな、体に疲労が蓄積していた。早く聖都に帰り体を休めたいと思っている者ばかりだった。
丘をいくつか越えると畑や民家がちらほらと目につくようになってきた。日が暮れる頃には、小さいながらも人々の暮らす街に到着した。とはいえ、兵が全員泊まれるような宿は存在しない。町外れで野営した。
さらに四日程進み…ついに、一行は聖都へと到達した。そして彼らを出迎えたのは、万雷の喝采だった。
聖都を貫く目抜き通り。石畳で舗装された道を進む彼らに、民衆は惜しみない歓声を送る。
「どういう、事…?」
椿は、皆と隊列を進みながら共に夢でも見ているような思いで周囲を眺め回す。
城砦防衛軍出迎えのためのパレードが開かれる…という話を耳にしてはいた。けれど、こんなに大規模なものだとは想像だにしていなかった。花吹雪が舞い、喇叭や太鼓が絢爛たる音曲を奏でている。
「…私たちは、王太子殿下と5万の聖王国兵を救った英雄…という事らしい」
と、エレオノール。彼女は、10日に及ぶ城砦防衛戦闘、その後の行軍を経ても凛とした佇まいを維持したままだ。
「この後、自分たちのために王宮で式典が開かれるらしいっすね。王宮なんて入った事ないからドキドキっすねえ…!」
エマは興奮を抑え切れない様子だった。もっとも、疲労の極みにある皆を励ますためにあえてそのように振る舞っているのかもしれない。
「それより俺はさっさと休みたいんすけど…あー…眠…」
リヒターがぼやいた。彼は城砦防衛軍の中で誰よりもユンカースとの付き合いが長かった。その割には彼の様子には変化らしい変化は見られない。とはいえ、内心でどのように感じているのかは推し量れなかったが。
彼らは、セリュリウス聖王国の国王たるアルフレッド三世が住まう場所、すなわちこの国の権力の中心地…ウォルツシュタイン城へと至る城門をくぐる。
城門の先には広々とした庭園が広がっており…さらに遥か先に、白亜に輝く城が見えた。あれが王宮、ウォルツシュタイン城なのだろう。
「…凄い。王宮の庭って…広いんだね」
椿は、隣を進むエマに語りかけた。
「そうっすねえ…王宮であるウォルツシュタイン城だけじゃなくて、大庭園、北部庭園、南部庭園、大離宮、小離宮、大兵舎、小兵舎、閲兵広場…その他イロイロ。自分も名前だけしか知らないっすけど、王宮の敷地だけでちょっとした町より広いって聞いた事があるっす」
「そうなんだ…」
同じ城でも、完全な軍事施設であるヌガザ城砦と王の住まいである王宮ではその規模も目的も全く違うという事らしい。
そして一行が向かった先は、エマの説明にもあった大兵舎だった。ここは王室を守る近衛隊のための兵舎なのだが、王に謁見する軍隊が服装を整えるための場所としても使われていた。城砦防衛軍一行の服装は、ひどく汚れている。このままでは、国王も出席する式典に出る事は許されなかった。式典は翌日。それまで体を休め、身なりを整えよ…との事だ。
「みな、ご苦労だった」
大兵舎のホールに集まったヌガザ城砦防衛軍を前に、司令代理…エレオノールが言った。
「国王陛下の計らいで大兵舎を使わせていただける事となった。明日の式典に備え、ゆっくりと体を休めて欲しい。だが、明日まで気は抜かないように。明日の式典は我々ヌガザ城砦防衛軍の行う最後の務めなのだから」




