女騎士の抗命
「な、何故…!」
エレオノールは立ち上がっていた。「控えよ」という声が男たちから響く。
王太子は、それを手で制してエレオノールをまっすぐに見つめた。
「何故だって?決まっているだろう。そのガキが帝国軍のスパイだからさ」
「な、何を根拠に…」
「ない」
「え?」
「絶対的な根拠などはない。だけど、どう考えたって怪しいだろ?明日開戦って時に、野営地に近くで倒れてたガキなんてさ。おまけに記憶がないだって?怪しさ満点だね。それならいっそ、首をはねた方が出陣前の景気付けにもなるってもんだ」
「ですが…いきなり命を奪うなど」
「なら、そいつがスパイだった場合にどう責任を取る?」
「…」
自らの生死が決定する瀬戸際にありながら、椿の思考はどこかぼうっとしていた。
(まさか、こんな軽いやり取りで命が奪われるなんて…そんな事、流石にないだろう)
そんな事を心の奥底では考えていたのだろう。しかし、王太子は容赦なかった。
「決定!そいつは打首な。おい」
王太子が顎で指し示すと、男のひとりが「衛兵!」と天幕の外に向かって声をかけた。天幕外から兵がふたり現れる。
「そのガキを連行しろ。野営地の中央に広場があったな。そこでそいつの首をはねる」
王太子の命令が下されると、衛兵達は左右に回り椿の体を持ち上げた。
「え…?」
驚きながらも抵抗を試みる。しかし、衛兵達は力強かった。椿ごときの抵抗ではびくともしない。
天幕の外に引き摺り出されていく。
(え?これ、ほんと?本当に、僕、殺されるの?)
急に恐怖が現実的なものとなる。さっと頭から血の気が引いた。嫌だ、死にたくない――。
「お待ちを!」
天幕の出入り口に、エレオノールが立ち上がった。
「どういうつもりだ?」
王太子は不快そうに眉を寄せる。彼を取り巻く男たちもエレオノールに対し敵意に満ちた視線を向けた。
「国民を守るのが我々の責務のはずです、殿下。彼もまた、聖王国の国民です」
「だーかーら。帝国軍のスパイかもしれないって言ってるだろ?だとしたら帝国の国民だ。我が聖王国民じゃあない」
「それはあくまで疑いのはず。万一、彼の処刑後にスパイではなかった証拠が発見された場合、陛下のお名前にも傷がつきます」
「別に庶民ひとり殺した所で俺の名前に傷がつくとも思えないけどなあ」
「殿下、どうか発言の許可を」
突如男のひとりが口を挟んできた。鼻髭の生えた、濁った声の男だ。
「なんだ、モーリス。発言を許そう」
「エレオノール百騎隊長はその少年がよほど大切な様子。であるならば、エレオノール殿に少年の『お守り』をしていただくというのはどうでしょう。つまり、この少年がスパイであっても逃げ出さないよう、監視をさせるという事で」
王太子は、ふふん、と鼻を鳴らした。
「いい案だ。よし、エレオノール百騎隊長。貴様はそのガキのお守りをしろ。しかしガキを連れていては戦場で戦えまい。貴様と貴様の指揮する百騎隊は後方のヌガザ城砦へと下がれ」
「そ、それは…!」
「おい」
王太子はエレオノールを睨みつけた。
「王太子たる俺が譲歩してやったのだ。まさか、これ以上不服を唱えるというのではあるまいな。であるならば、例え貴様であろうと…」
「…いえ。ご命令、謹んでお受けいたします」
エレオノールは深々と頭を下げた。
椿の拘束が解かれる。
(よく分からないけど、どうやら命だけは助かった…のか…?)
椿は、ひとまず胸を撫で下ろした。