一撃
避け損ねた大剣が、ユンカースの腕を、足を、体を、幾度も抉る。彼は板金鎧は装着していない。それ故に全身からは血が吹き出していた。もっとも、重量の重い板金鎧を着ていればジークフラムの動きについていけず今頃はその肉体を両断されていたかもしれない。
全身から血を滴らせながらも、ユンカースはジークフラムから逃走する素振りは見せなかった。ユンカースがジークフラムを引きつけているために何とか西城壁は五分の戦いを続ける事が出来ている。それ故に、例え勝ち目のない勝負であろうと挑み続けなければならない。
「頑張るなあ、おい。優男」
ジークフラムの顔には余裕の笑みが浮かぶ。彼は頬から薄く血を流し、出撃時は被っていた兜は無くなり黒髪を露わにしている。戦いの中で兜が吹き飛んだのだ。彼にとってユンカースは予想外の強敵と言って良かった。しかしそれは、一撃で倒せるザコの群れの中にちょっとばかりこちらの攻撃を凌いでくる相手がいたという程度のもので…自身の勝利を揺るがせるようなものではなかった。
「そろそろ終いにするか?ああァ!?」
怒涛の連撃。常人ならばまともに振る事も叶わぬ大剣を木の棒でも扱うように振り回す。ユンカースは時に身を引き、時に身を屈め…間一髪の所で圧倒的な暴力から逃れ続ける。しかし、徐々にその動きもおぼつかなくなる。失血のために目が霞み、足元がふらつく。
(俺も…ここまでか…)
「はッははははァ!」
竜の突進を思わせる重い一撃。それをかわす事が出来ず、何とか剣で受ける。ユンカースは弾き飛ばされた。着地した瞬間、体勢を崩しよろめく。それを見逃すジークフラムではなかった。
「じゃあな!優男!」
突き出された大剣の切先がユンカースの腹部に突き刺さり…奥まで突き入れられた。
「がはっ…!」
「ぎゃはは!いーい戦いだったァ!楽しませてもらったぜ」
ジークフラムは、強敵を仕留めた達成感と共に大剣をユンカースの体から引き抜こうとして…その途中で手が止まる。
「ああん?」
ユンカースが、ジークフラムの腕をがっちりと掴んでいたのだ。
「うざってェ!」
無理矢理引き剥がそうとしたが、ユンカースの力は思いの他強い。腕で掴んでいるというよりは、体全体でジークフラムの腕を抱きしめているような格好だった。こうなれば蹴り飛ばして体を引き剥がすか…。そんな事を考えたその瞬間、背筋にゾクリと冷たいものが走った。
――殺気、敵意。そういった類の意思が己に向けられている事を知る。
ジークフラムは振り返った。その瞬間、頭部に落雷が落ちたが如き衝撃を受ける。衝撃を受ける直前に見たのは――剣を振りかぶり、こちらへ飛びかかってくる少年の姿だった。
無我夢中だった。自分に何が出来るのか分からなかった。何も出来ない公算の方が高かった。そして何よりも…あの怪物の如き男と相対するのは恐ろしかった。それでも、椿は走った。ユンカースを死なせたくはなかった。息を切らせながら走り、城壁に辿り着き…登り切ったその瞬間、ジークフラムの放った突きがユンカースを貫くのを見た。
恐怖も、迷いもその瞬間に吹き飛んでいた。剣を抜き放ち、ジークフラムに向かって走る。
あと一歩、という所でジークフラムが振り向いた。いや、構うものか。勢いそのままに、怪物に向かって飛びかかる。
――剣を押し出すというよりは円を描くようなイメージで。
エレオノールの言葉だけが頭の中に響いた。
硬質な物体に刃が入り込む感触を覚えた。
ジークフラム・ガイセは戦いにおいて天賦の才を有していた。それは身体能力の高さに限った話ではない。周囲の状況を把握する力にも長けていた。故に、ユンカースと刃を交えながらも大まかに周囲の状況を把握していた。
獅子が標的を狙う際に、周囲に他の肉食獣がいないか目を配りながら獲物を追い詰めるのと同じだ。だから、ひとりの少年が城壁に上がりつつある事は何となく察しがついていた。しかしそんな事は気にも止めなかった。
近くに水牛の群れいれば警戒するだろう。他の獅子が迫ってきていたのなら身構えもするだろう。しかし、鼠が近付いてきたからと言って気に掛ける獅子はいない。ジークフラムにとって、椿は鼠だった。そんな者に気を配っている暇があるのなら、ユンカースに全力を傾けるべきだ。そのはずだった。しかし、突如鼠は牙を向いた。そしてその牙は、獅子に届いた。だが…、
「なんッ…だァ!テメエはァ!」
椿の振り下ろした刃は、ジークフラムの皮膚を断ち、頭蓋骨を斬りつけ…しかし、その途中で止まっていた。




