アイヒホルン28
クヌートン男爵は、ただひたすらに逃げた。彼は万単位の反乱軍の指導者だけあって、それなりに名の知れた人物だ。そんな彼が、矜持も意地もかなぐり捨てて、ただただ…逃げた。
「はあ、ひい、ひい…!」
500mか、それとも1kmほど走ったか。クヌートンは、ちらりと後方を振り返った。そこに敵の騎士の姿は――なかった。
「よしっ…!」
思わず笑みが零れた。あの化け物のような女騎士から逃げ切る事ができたのだ。確かに自分の起こした反乱は失敗に終わったかもしれない。だが、命だけは失わなかった。それを良しとしなければ。そう思ったその時…彼は隣から声をかけられた。今、クヌートンは馬に跨り全力で逃げている最中である。彼の周囲には誰もいないはず。にもかかわらず…隣から、声がかけられたのだ。
「いったい何が「よしっ」なのですか?男爵」
涼やかな声だった。男の者ではない…女の声だ。クヌートンは、慌てて声のした方を見る。そこには――騎士の姿があった。10名の兵を葬った、敵騎士の姿が。
クヌートンが振り返った時、騎士の姿が見えなかったのは当然だ。その時すでに騎士はクヌートンに追いつき…隣に並んでいたのだから。
「なっ…!き、き、貴様…なっ…!」
驚きと恐怖でクヌートンの顔から血の気が引いた。その様子を見て、騎士は…、
「ああ、そうですね。申し遅れました」
そう言って、自身の顔を覆う面頬を上へずらした。亜麻色の髪をした、美しい女性の顔がその下から現れた。
「お初にお目にかかります。シャルンホスト上将軍配下、精鋭槍騎士四番隊隊長…クリスタ・ファーナと申します。…あなたの命をもらい受けに来ました」
女騎士…クリスタは不敵に笑った。




