王太子
異世界転生とは言うが、椿の場合は一般社会でいう『前世の生まれ変わり』とは違い、一度死んで赤子の状態から再び生を受けた訳ではない。記憶はそのままに、全く別の肉体を持って全く別の世界に突如現れた…という方が正確だろう。
(それにしてもこの顔…)
椿は、再び手鏡を取り改めて自身の顔を確かめる。よく見れば、見覚えがある。
(確か、『イエハド(家康の覇道の略)』に出てくる森蘭丸のグラフィックがこんな感じだったような…)
森蘭丸。信長の小姓として知られ、その美しさを信長に愛されたと言われている。そのあたりを考慮して『家康の覇道』では美少年として描かれている。
(僕が死ぬ直前、森蘭丸を操作していたからこの姿形で転生したのか…?いや、それにしてもむさいおっさんじゃなくて良かった…柴田勝家とか龍造寺隆信とかさ。いや、武将としては好きなんだけど…)
そんな事を思いながら服を着る。奇妙に落ち着いていた。異世界転生した事が分かれば、こっちのものだった。そういった作品については普段から慣れ親しんでいる。どう行動すればいいのか、大まかには分かる…なんとかなるはずだ。
「お待たせしました」
服を身につけて天幕の外に出た。与えられた服は、やはりと言うべきか中世ファンタジー風だった。前開きの長袖シャツに、ゆったりとしたズボン。
「よし、行こうか」
エレオノールに手を取られる。しなやかな指が椿の手のひらを包み込んだ。
「…っ」
椿は、反射的に手を引いてしまった。
「どうしたんだい?」
「い、いえ…」
「何か、失礼をしてしまったかな」
「あ、や、そういう訳じゃ…」
ただ単に、女性と手を繋ぐのが初めてだったから驚いて手を引いてしまっただけなのだった。しかし、そんな事は恥ずかしくて言えなかった。
エレオノールは、心配そうに椿を覗き込んでくる。
(ぐ…)
異世界転生した事が分かればこっちのもの…と、ついさっき思ったばかりだった。しかし、今の一瞬でそれはただ思い上がりだったのだと思い知らされる。
そう、しょせん中身は引きこもりの童貞なのだ。女性と少し触れ合っただけで緊張してしまう。例え女性相手でなくとも、元々コミュニケーションが得意な方ではない。果たしてこの見知らぬ世界でやっていけるものなのか…。
不安が顔に現れていたのだろう。エレオノールは柔らかな表情を作り、
「…不安にならなくていいんだよ」
と、椿を抱きしめた。
「…!?!?!?」
椿の身長は平均的な男性よりも低い。160cm程だ。対して、エレオノールの身長は170cmを超えていた。抱きしめられると…ちょうど、顔の位置がエレオノールの胸の位置と重なる。
顔に当たるふたつの膨らみ。服越しでも分かる、どこまでも埋まってしまいそうな柔らかさ。それを感じて、
――うっひょー、ラッキー!
とは、思えなかった。
「あ、あわ、あががががが」
こういった状況を素直に喜べないのが、拗らせた童貞というものだ。いや、もちろん嬉しくない訳ではなかった。しかしそれよりも、困惑の方が大きかった。己の人生には決してあり得ないだろうと思っていたラッキースケベ体験に、脳がオーバーヒートを起こしてしまっている。
「あの、隊長。なんかこの子、震えてますよ?」
青髪少女の忠告で、エレオノールも椿のおかしな様子に気がついたようだ。
「むっ…だ、大丈夫か!?」
「だ、だ、大丈夫です…」
胸から離れ、ようやく震えが収まった。
「そ、そうか…。本当に大丈夫だろうか…?」
まだ気遣わしげに椿を見るエレオノールだったが、
「隊長。そろそろ行かないと王太子サマが怒っちゃうっすよ〜!」
と青髪少女に言われ、はっとなった。
「むっ…そうだな。よし、君が大丈夫というのであれば…急ごうか」
「はい」
野営地には、椿が寝ていたのとは別の天幕が複数あった。その数は…椿の視界にあるだけで100以上はある。テントの外で何やら作業をしている人間もいた。食事らしきものを作っている者、斧で木を割り薪を作っている者、甲冑に身を包み剣を素振りしている者。
(うわあ、本当に異世界に来ちゃったんだな)
椿は改めて思った。
しかし、一見した所人間以外の種族は見当たらない。人間以外はいないか…もしくは、いたとしても少数。そういうタイプの異世界のようだ。
一際大きい天幕の前に来た。中でパーティでもできそうな広さがある。入り口付近には、甲冑に身を包んだ兵士がふたり立っていた。エレオノールは、兵士たちに向かって自らの胸の前に右手を添える仕草をした。兵士たちも同じ仕草を返す。
「百騎隊長のエレオノールだ。こちらの少年は、落雷現場にいたニイミ・ツバキ君」
「はっ!聞き及んでおります。どうぞ、中へ」
「どうも。…さあ、ニイミ・ツバキ君」
「はい」
「王太子殿下から何か質問されると思うが、素直に答えればいい。殿下はやや気分屋な側面があるが…余程の無礼を働く事がなければ、罰則を与えるような事はしないはずだから。それと、天幕に入ったらすぐに跪いて」
「…分かりました」
(王太子…ってつまり、次に王になる王子って事だよな。言ってみれば、セリュリウス聖王国とやらで二番目に偉い人って事か…)
そう思うと、緊張してきた。変な事しでかして怒られないようにしないと…そう思いながらエレオノールに先導され天幕の中へと入る。
「百騎隊長エレオノール・フォン・アンスバッハ参上いたしました!」
言いながら、エレオノールは跪いた。椿はそれに倣いながらも、ちらりと視線を上げた。
天幕の中には、10人ばかりの人間がいた。皆、派手ではないがよく手入れのされた衣装に身を包み、椅子に腰を降ろしている。歳はみな、三十代の後半から五十代といった所。いかにも中近世の軍隊の指揮官、といった風貌だ。その中でひとり、明らかに違う雰囲気を纏う男がいた。
ひとりだけ派手な服装に身を包み、金の飾りの施された椅子に腰掛けている。この人物が王太子だと、椿にも一瞬で知れた。年は…二十代の中盤といった所か。
「しばしそこで控えておれ」
男たちの中のひとりが命じた。彼らは、ただエレオノールと椿を待っていたのではなく、何らかの会議を行っていたようだ。それが終わった後、エレオノールと椿に対する要件を済ませるつもりらしい。
「…しかし、正面からのぶつかり合いは危険なのではないかという意見も…」
「…何を言っておられる。兵力はこちらの方が上、小細工など…」
「…しかし相手は、帝国の双剣のひとり…」
「…王太子殿下はいかように…」
「…俺?俺は断然、正面戦闘だね。それ以外に考えられないよ」
何やら作戦について話し合っているらしい。詳しい事は分からないが、近日中に大規模な戦いが行われるようだ。
「…ではやはり、当初の計画通り真正面からの戦闘という事で」
男のひとりがそう言うと、みな黙った。作戦についての話は終わったらしい。
「では続いて、エレオノール百騎隊長が見つけたという少年についてですが…」
一堂の視線がこちらに集まるのを感じる。
「エレオノール百機隊長、状況を報告せよ」
「はっ」
エレオノールは跪いたまま、顔だけを上げた。
「こちらの少年の名はニイミ・ツバキ。野営地から南東200mの場所で発見いたしました。発見当初、意識なし。付近に落雷の跡があったため、そのショックで昏倒していたものと思われます」
「ふうん」
若々しい声が相槌を打った。椿はちらりと片目を上げる。相槌を打ったのは王太子だった。そして、王太子の顔の上に――。
(まただ)
13 32 36 09
二桁の数字が四つ浮かび上がった。他の男たちの方へ視線を向ければ…それらの顔の上にも、同じような数字が浮かび上がっている。
「で、何者なんだ?このガキは。おい、ニイミとやら。…おい!」
数字に気を取られていた椿は、反応が遅れてしまう。
「あ、は…はい!」
「ちっ…トロ臭いガキだな。おい、お前、何者だ?何をしていた?直答を許す。さっさと答えよ」
「えっと、あの…」
正直に、『21世紀の地球、日本という、こことは全く違う場所で死んでしまい、転生してこの世界に来ました』とは言えなかった。いきなりそんな事を言った所で、信じてはもらえないだろう。
「その、よく覚えていないんです」
「あ?」
王太子は眉をしかめた。エレオノールが椿に助け舟を出す。
「王太子殿下、どうやらニイミ・スバキ少年は落雷のショックで一時的に記憶が曖昧になっているようなのです」
「記憶が曖昧ねえ…」
王太子は、相変わらず眉をしかめたままだった。しばらくの間考え込むように俯いた後、こう言った。
「よし、それじゃあ殺すか」




