ハットランド会戦5
結局、カルマルは最も無難な…逆に言えば、危険もない代わりに利点もない手を打った。後方のリヒター軽装歩兵部隊に対して、一万の軍勢を当たらせたのだ。これなら、万一敵が二千名以上いた場合でも守り切れるだろう。
しかし、この采配によりカルマル軍の兵力はさらに分散された。右翼に一万、左翼に一万、後方に一万。残る三万が前方の敵と相対する事になる。
一方、グロスモント軍はガレス率いる一万、ホフマン率いる千+竜五頭、リヒター率いる二千が抜けたのみで正面の兵力は約五万七千。
五万七千対三万…ほぼ倍の兵力差だ。
両者の力が拮抗していたとしても、倍の兵力差があればその結果は決まったようなものだ。しかも、実際のところ両者の力は拮抗していない。
「さあ、征くぞ!常より鍛えたその武勇!燃えたぎるその闘志!今こそ戦場にて示す時!」
オスカーが先頭に立ち、その両手剣で敵兵を薙ぎ倒しながら突き進む。それに従う兵も、漲る闘気を立ち上らせながら敵軍へと向かっていった。
「エレオノール隊!出るぞ!」
オスカーとほぼ同時に、エレオノールが自らの隊へと号令を下した。短い言葉だが、その凛とした声は隊員の神経を研ぎ澄ます。エレオノールは放たれた矢のように敵軍の中を突き進み、隊員はその後を追った。
オスカーが両手剣を振るえば敵は吹き飛び、エレオノールの長剣が煌めいたかと思うと次の瞬間に敵兵が地に倒れ伏している。この戦場において、聖騎士と戦乙女を止める事のできる者など存在しなかった。さらに、二人を支える部隊長の質、兵の質、兵の数…全てにおいてグロスモント軍が上回っている。
グロスモント軍は次々と敵兵を打ち倒し、カルマルの本営へと迫る。
「し、将軍!前方の敵が迫ってきております!どうなされるのですか!?」
「右翼や左翼の兵を呼び戻し、正面に当たらせるべきです!」
「いや、もう遅い!撤退だ!北統王国貴族である私たちだけでも戦場から脱出せねば…!」
側近たちが口々に叫ぶ。彼らはすでに混乱状態に陥っていた。しかし、右翼や左翼、後方の兵を戻すには遅すぎた。また、脱出するにしても時間を稼ぐ必要があるだろう。カルマルたちが逃げ出すのを見れば、北統王国兵は瞬く間に戦意を失い軍としての昨日を失う。そうなれば、カルマルの逃走を援護する兵はいなくなってしまう。
「ここは某が殿を務めます…」
そう言って、カルマルとその側近の前に進み出た男がいた。眼光が鋭く、顔の輪郭はごつごつと骨張っている。いかにも武人、といった面構えの人物だ。側近たちが、一斉に彼の方へと視線を向けた。
「ハ、ハンヌ五千人隊隊長…!」
カルマルの顔に、ほんの僅かながら喜色が浮かぶ。ハンヌ・ユヴァス五千人隊隊長。庶民出身、一兵卒からの叩き上げで五千人隊隊長まで上り詰めた人物だ。歳は五十近いが、その実力はむしろ歳を経るごとに増している。
「き、君が敵を食い止めてくれるのか?」
カルマルが懇願するような眼差しを向ける。ここで殿を務めるという事は、すなわち死を意味する。
「はい。お逃げになるなら、早くなされた方が…」
「う、うむ!承知した!例え君が死するとも、その働きぶりは忘れんぞ!国王に頼んで君に爵位を…」
「不要です」
ハンヌはきっぱりと言った。死んだ後に爵位などもらったところで何の意味もない。そのような死後の名声は不要。もちろん、カルマルを敬愛する故に戦う訳でもない。武人の務めとして最後まで抵抗の意思を貫く。彼はただそれだけを望んでいた。




