ハットランド会戦
北統王国中部にあるハットランド平野。その地は一面が薄茶色に染まっていた。この地に生えている牧草の色だ。それ以外には、ぽつりぽつりと木が生え、小川が数本流れているのみ。普段ならそこに放し飼いにされている羊や牛の姿は見えない。しかし、事前に避難させた家畜たちの代わりに陣取っている者たちがいた。六万の北統王国軍だ。その本営、巨大な天幕の中に軍団の幹部達が集まっていた。
隊長であるカルマル将軍が口を開く。
「敵軍についての報告を」
カルマルはやや太り気味の老人だ。男にしては声が甲高い。
「はっ」
側近のひとりが一歩前へ進み出る。
「現在、聖王国軍は我が軍に向けて接近中。この速度で進めば、二時間後にはこの地に到着するでしょう。数は約七万。巨大要塞出発時は八万程いた様子ですが、途中の城砦や街などに兵を駐屯させているため現在はこの兵力となっています」
「七万か」
カルマルは呟く。実は敵が七万、というのは事前に報告を受けていた。それでもあえて報告させたのは、今一度その事実を周知させるためだ。
「兵力としては敵の方が多いが、遠征で疲れもあるはずだ。状況としては五分と五分、そう言って良いだろうな」
その言葉に、カルマルの周りに集まる側近たちは頷いた。
「しかも、だ。最悪の場合、こちらは引き分けでも構わん」
カルマルの役目は、敵軍の進行を止める事だ。つまり、万一カルマル軍が全滅したとしても、それと同時に敵軍も全滅すれば作戦は成功した事になる。いや、必ずしも全滅させる必要はない。例えば敵の兵力を削り、その数を二万程度にまで減らせばそれ以上の進行は不可能になるだろう。
「ですが将軍。将軍の実力ならば、引き分けなどと言わず敵を叩きのめしてやる事も容易でしょう」
「私もそう思います。いえ、私のみならず国王陛下も将軍には期待しておられるご様子」
側近たちがそんな事を言う。ちなみに、これはカルマルに対するご機嫌取りだ。正直、彼らはこの戦いが楽なものだとは思っていない。何しろ、相手は勇壮の聖騎士なのだ。
しかし、カルマルの側近はこういった媚びへつらいが得意な者たちで固められていた。そしてカルマルも彼らの言葉に気を良くする。
「ははは、勿論だ。ワシとて引き分け狙いなどという姑息な真似をするつもりはない。敵軍を打ち破ってやるつもりだ」
その言葉に、側近たちは「おおっ」と歓声をあげた。
「そうなれば、いよいよ将軍も上将軍の地位に就かれる事になるでしょうな」
そんな側近の発言に、カルマルは相好を崩す。上機嫌そうにうむ、と頷いた。
「当然、そうなるだろうな。そもそもバウテン如きが上将軍で、ワシが将軍というのがおかしな話なのだ」
カルマルとバウテンは、北統王国軍内での同期だった。しかし、バウテンは常にカルマルのひとつ上の階級にいた。それは、バウテンとカルマルの実力差を示すものだったのだが…カルマルは、そうは考えなかった。自分は不当に評価されている、そう思い続けていた。
「バウテン上将軍は先の戦いの敗北で謹慎中だとか。こんな事を言っては失礼かもしれませんが…やはりあのお方に上将軍の地位は相応しくなかったのでしょうね」
「私も同意見です。北統王国軍上将軍の地位に相応しいのは、カルマル閣下を置いて他にはありません!」
「カルマル上将軍!敵軍を打ち破り今宵は祝杯をあげましょう」
「おいおい、気が早いぞ諸君」
そう言って側近をたしなめるカルマルだが、その顔は上機嫌だ。そして、側近たちも皆どこか弛緩していた。楽な戦いではない…そう理解していたはずの彼らだったが、カルマルにごまをすっている内に本当に今回の戦いは楽勝なのではないかと思えてきたのだ。そんな彼らの輪に入らず、天幕の端に佇む人物がふたり。ふたりは、他の幹部達とはやや趣の違う騎士服を身に纏っている。そのうちのひとりが、不意に前に進み出た。まだ二十代の前半と思われる男だ。体格が良く、金色の髪を短く刈り上げているのが特徴的だった。そして彼は手を挙げる。
「あの…俺からもいいスか?」
周囲の視線が彼に集まった。盛り上がりに水を差された形になるが、側近たちもその程度で機嫌を悪くしたりはしない。また、彼はこの中である種特別な存在だった。カルマルも彼の事は無下にはできない。それ故に、笑顔で語りかけた。
「おお、お客人。いかがした?なんでも遠慮なく仰られるといい」
「なんでも言っていいんスね?」
「もちろんだとも」
「じゃあ遠慮なく」
そう前置きして、腕を組みやや顎を上げ一同を見下すように一瞥し…改めて口を開いた。
「――あんたら、アホか?」




