暗雲
耳を塞いでいても体の芯にまで響いてくるような爆音。帝国兵が、そして土嚢の橋が吹き飛んだ。
いったい何が起こったのか。それは椿にも見当がついた。
(粉塵爆発…)
一定の濃度の粉塵と酸素がある状態で燃焼が発生すると、粉塵を構成する粒子のひとつひとつが発火しそれが瞬く間に燃えひろがり爆発となる現象…。実際に目にしたのは初めてだっが…しかし、漫画などのフィクションでお馴染みだった。
爆発が収まったのを見計らい、砦から顔を出す。土嚢の橋は半分以上吹き飛んでいた。
「粉塵爆発…現実に起こるなんて…しかも、こんな大規模な…」
「なんだ、この現象を知ってんのかい?」
ユンカースもまた、堀の中を見下ろしている。
「以前、軍の穀物庫が爆発した事があってな。俺なりに原因を調べて実践でも使えないかとやってみたんだが…上手くいった」
「凄い…威力ですね」
土嚢のみならず、帝国兵の多くも吹き飛ばされていた。敵兵とはいえ、痛ましい光景だった。
「…でも、こんな方法があるなら何度攻めてこられても大丈夫そうですね」
「いや、この手はそうそう使えるもんじゃない」
「え?どうしてですか?」
「天候に左右される要素が大きすぎるからな。雨が降ってたらもちろん使えないし、ちょっとした風が出てるだけでも上手くいかないだろう。それに付け加えて、一度に消費する麦粉の量が多すぎる。だが…」
ユンカースは、帝国軍の本営に目を向けた。
「土嚢の橋は吹き飛んだ。あと二日以内に作り直すのは不可能だ。俺たちは城砦を守り切れるって訳だ。…これ以上、何もなければな」
「…なんだ、奴らは何をした」
モットレイは、天幕の中で頭をかかえていた。
「将軍…」
副長のグリフィスはそれを沈痛な表情で見つめる。
「このままでは、城砦は落ちんぞ」
正確に言えば、攻め続ければいつかは落ちるだろう。だが…聖王国軍に対する追撃は間に合わない。
「…そうだ、敵城壁の向こうまでトンネルを堀り…地下から攻めるという作戦はどうだ!?」
「…」
グリフィスは、何も答えなかった。その案があまりにも非現実的すぎる事を、モットレイ将軍自身理解していたからだ。トンネルを掘る。坑道作戦は時間がかかりすぎる。モットレイは、現実逃避しているだけだった。
天幕の外に目を向けた。日が暮れようとしている。8日目も終わる…あと二日で城砦を落とすのは不可能だ。いったい、どうすれば。
「…ん?」
天幕の外が騒がしくなった。敵が攻めてきた…という程の喧騒ではない。兵達がどよめいているといった雰囲気だ。兵達が喧嘩でも始めたのだろうか…?
そんな事を考えていると、天幕の外から兵士が姿を現した。
「失礼いたします!」
「…なんだ」
グリフィスは、気の抜けたような声で返事をする。
「はっ。後方から特務隊が到着されまて…そちらの隊長殿が将軍にお目通りしたいと申しております」
「特務隊だと?」
モットレイが顔を上げる。
「そんな奴らが来るという連絡は無かったぞ」
「それが、そのう…どうやら、独断でこちらに来られたようで…。
「なにい!そんな奴ら追い返せ!」
帝国軍における特務隊とは、実験部隊である。正規の部隊では運用されていない新しい戦術や兵器を試すための小規模部隊…その部隊の隊長など、軍における序列では将軍であるモットレイよりも遥かに格下だ。
「命令も守らず独断で行動するようなアホに付き合っている暇はない!」
「し、しかし、そのう…」
兵士は、モットレイの言葉に従うかどうか迷っている様子だった。何かに怯えているようにも言える。すると突如、
「ひえっ!」
という叫び声と共に、兵士が天幕の外に消えた。何者かが兵士を引きずり出したのだ。その代わりに天幕に姿を現したのは…巨大な男だった。帝国軍の基調である、黒の甲冑。だがその材質は鉄ではないようだ。
(…獣の骨か?あれは)
モットレイは思った。しかし、獣の骨にしては不気味な程に黒光りしている。鉄以上に冷たい質感を放っていた。
「…よお、おっさん」
男は言った。意外にも若い声…おそらく二十代の男のものだ。
「全然駄目っぽいじゃねえか」
「何だと!?」
モットレイは立ち上がった。このような若造に…しかも特務隊の隊長ごときにコケにされて冷静でいられるほど、彼は冷静な人物ではなかった。
男に詰め寄る…すると、男の巨大さがありありと分かった。モットレイ自身、堂々たる偉丈夫である。しかし、そんな彼が見上げなければならない大男…ゆうに2mは超える長身だった。
「事実を言っただけだろ」
男は笑う。すると、鮫を思わせる刺々しい歯が露わになった。
「き、貴様!」
モットレイは男に掴み掛かろうとして…反対に、その頭を掴まれた。猛禽のような鋭い爪を持った巨大な手だった。
「がっ…!」
「おっさん、綺麗な丸坊主だなあ…卵みてえだ。この頭、割ったら黄身が出てくんのか?なあ」
男は、手に力を込める。モットレイの頭蓋がミシミシと音を立てる。本当に片手でモットレイの頭を握りつぶしかねない力だった。
「が、があああ!」
「や、やめろ!」
モットレイは悲鳴をあげ、グリフィスは男を制止しようと叫ぶ。
「だったらよお、俺らの出撃を許可しろよ、なあ」
男の力が強くなる。手の爪が食い込み、モットレイの頭からは血が滴り落ちる。
「わ、分かった!出撃を許可する!許可するう!だから…離せえ!」
男は手の力を緩めた。モットレイは尻餅をつく。
「はは、ありがとよ、おっさん」
そう言い残して男は天幕の外に出た。
天幕外には、彼の配下である特務隊が整列していた。その周りを、恐る恐るモットレイ配下の兵達が見守っている。彼らの視線の先にあるのは…特務隊と共にある異形の存在。十頭の竜だった。
「いかがでしたか、隊長」
特務隊の中にいる唯一の女性…この隊の副長が進み出た。
「おう、出撃許可は出た。快く賛成してくれたぜ、モンレ-のおっさんは」
「…モットレイ将軍です。しかし、出撃許可が出たのであれば、行きましょうか」
「ああ」
男は、隊員に向けて檄を飛ばした。
「特務竜兵隊――出るぞ!」




