進行準備12
「明日からは長期間の出陣だからな。今のうちにゆっくり寝貯めしとかねえと」
そんなリヒターの言葉に、ハティが呆れ顔で返す。
「はあ…お前はほんと、面倒臭がり男だな」
椿も最初、
(いかにもリヒターさんらしいなあ)
と思ったが…その思考を少し深く掘り下げてみようと考えなおした。
(よく考えれば、のんびり過ごす事が最大の幸せって…幸せな事かもしれない)
世の中には、富や名誉、権力をひたすらに追い求める者たちが多くいる。それは、その先に幸せがあると信じているからだろう。だが、そういった者たちの多くは大きすぎる欲望に負け身を破滅させるか…もしくは、搾取という形で周囲の人間を不幸を押し付ける。そうまでしなければ己の欲望を満足させる事ができないのだ。
だが、リヒターは違う。彼はただただ、のんびりと過ごす事ができればそれで満足なのだ。
(これはある意味、仙人とか禅とかそういった境地に近いんじゃないだろうか…)
ちょっとばかりリヒターに尊敬の念を覚える椿。そういえば、椿がこの世界に来る前にも『スローライフ系』と呼ばれる異世界転生物語が流行を見せていた。ある意味、リヒターのような境地は人間の究極と言えるのかもしれない。そんな事を考える…が、同時に、
(いや、ちょっと考えすぎかも…)
と思わないでもないが。
「そういうちびっ子こそどうしたんだ?」
リヒターは眠そうな顔で問い返す。
「リッツの嬢ちゃんと、ツバキと三人でデートか?」
「で、デートじゃないですよ」
少し照れながら答えのは椿だ。
「エレナにプレゼントを買いに来て――」
と、ここまでの経緯を話す。ボゥやズメイと会った事、焼き菓子を買った事、孤児院での事…簡単に説明を終えると、リヒターは感心したように唸った。
「なるほど、アンスバッハ隊長を労うためのプレゼントね…いや、偉いな」
「って言っても、大した事はできないですけど」
「いや、そんな事はないと思うぜ。戦いで最後にものを言うのは生きたいっていう意思だ。例えささやかでも出陣前に楽しい時間を作るってのは良い事だ。あの楽しい時間をもう一度過ごすために生きて帰らないとって思えて力が出るからな。軍隊ってのは厳しいだけじゃ駄目だ。――とまあ、この言葉はユンカース隊長の受け売りなんだが」
と言ってリヒターは昔を懐かしむような表情をした。
「ま、何にしてもいい事だ」
「ありがとうございます。その言葉、しっかり覚えておきます」
椿は頷く。そして、
「ちなみに…ですけど」
と前置きして問いかけた。
「リヒターさんが欲しい物ってありますか?参考にさせてもらいたいんです」
森を抜けると、再び商店の立ち並ぶ通りに出るはずだ。城館に帰る前に買い物をする最後のチャンスとなる。もしリヒターから良い案が出れば追加で何か購入しようと思っていた。
「俺の欲しいものね…そりゃあるぜ。そしてそれはアンスバッハ隊長の欲しいものでもあるはずだ。ただし、絶対に渡す事のできないものでもある」
リヒターの言葉は、とんちというか…それこそ禅問答めいていた。
「えっと…それって何ですか?」
椿は首を傾げながら質問する。リヒターは自分の頭をくしゃくしゃとかきながら答えた。
「そりゃ決まってんだろ。――休暇だよ」
確かにそれは、今の状況ではどうしても渡す事のできないものだった。
「…悪いな、なんの参考にもならねえ事言って」
そう言って肩をすくめるリヒター。だが、椿は答える。
「いえ、参考になりました。今は渡す事ができないけど――この出撃で成果をあげて、平和を築いて…その先で、エレナにたっぷり休暇をプレゼントしたいと思います。…もちろん、リヒターさんにも」
その言葉に、リヒターは一瞬眉を上げて…そして、嬉しそうに笑った。
「…期待してるぜ、軍師殿」




