進行準備7
「あ…ズメイさん」
椿たちはズメイに歩み寄る。
「どうしたんっすかこんな所で?」
近付いた所でエマが問いかけた。
「こんな所でって…こんな所でやる事と言ったらひとつしかねえですよ、副長殿」
そう言ってズメイは手に持った木製ジョッキを掲げて見せてきた。ジョッキの中には酒が並々と注がれている。彼は真昼間から酒を飲んでいたのだ。
ちなみに、ズメイは遥か年下の椿やエマに対しても(彼なりの)丁寧な物言いをする。捕虜だった際はぶっきらぼうな口調だったが、エレオノール隊に配属された瞬間から口調を改めた。上官と部下のけじめはきっちりとつけるタイプらしい。
「ズメイ軍曹、どうされたのですか…?」
椿たちとズメイが話していると酒場の中から声が聞こえた。ズメイはそちらを振り向く。
「ああ、重装歩兵分隊長殿…。軍師殿達の姿が見えたんでね」
「ツバキ殿の…?」
そう言って姿を現したのは、ボゥだった。彼女は椿の顔を見て笑顔を作る。
「おお、ツバキ殿。このような場所で会うとは奇遇でありますな!」
「ボゥさんまで…どうしたんですか?二人で飲んでたんですか?」
椿はボゥとズメイを交互に見比べた。
「いや、二人じゃねえですよ。酒場の中にもう五、六十人程います。付け加えると、この辺りの他の酒場にも散らばってますね。全員、エレオノール隊の重装歩兵部隊か軽装歩兵部隊の隊員です」
ズメイが答え、さらにボゥが引き継ぐ。
「重装歩兵部隊と軽装歩兵部隊は増員された兵が多いですから、親交を深めるために両歩兵部隊で一席設けよう…という事になったのです。もっとも、私はあまりお酒は強くないので食べる専門ですが」
「なるほど…」
戦場において、仲間への信頼は最も大切な要素のひとつだ。自分の隣で戦う人間を信じる事が出来るかどうか。それは前線で戦う兵にとって死活問題と言っていい。仲間同士で互いに信じあう事ができれば、例え苦境にあっても仲間を放り出して逃げる事はないだろう。だが、信頼が無ければ「いつ隣の奴が逃げ出すか」と思いながら戦う事になる。そんな状況では、ひとたび劣勢なった際いつ隊が崩壊するか分からない。
もちろんこれは極端な例だが、親交を深めて悪いという事はないはずだ。
「って事は、リヒターさんもいるんっすか?」
エマが尋ねる。リヒターは軽装歩兵部隊長だ。当然、どこかにいるのだと思って聞いたのだが…ズメイは首を振った。
「いや、リヒターの旦那はここにはいやせん。自室か、もしくはどっかひとりになれる場所で寝てます」
「ね、寝てるんっすか…」
「あの人はこういう集まりも面倒臭がりますからね。ただ、飲み代だって言って金はたんまり置いていってくれやした」
その言葉を聞き、椿の後ろに隠れるように立っていたハティが顔を出す。
「…あの面倒臭がり男はいっつもマイペースだな」
自分の事は棚に上げ、そう呟いた。それを聞いてズメイは苦笑する。
「わざとマイペースに振舞ってる…って気もしやすがね」
「わざと?」
エマとハティが首を傾げる。
「いつも自分のペースを崩さない上官ってのは、それはそれで兵を安心させるんですよ。どんな苦境でもあの人が「ああ、面倒臭え」って言やあなんだか大した事じゃいように思えてくる…そんな感じですかね。だいたいあの人は、俺に対しても他の隊員と変わらない態度で接してくれる。あの人の上官は、俺達の攻撃のせいで…」
そこまで言って、ズメイは額に手をあて「ふうっ…」とため息を吐いた。
「いや、せっかく楽しく酒飲んでる時にする話じゃねえですね。忘れてください」
椿には、ズメイの言おうとした事…そしてそれを途中で止めた事の意味が分かった気がした。
ヌガザ城砦での戦闘の事を言っているのだ。そこでリヒターの上官であるユンカースは戦死した。もちろん、ユンカースは椿やエマにとっても上官だったし、今も忘れられない…忘れる事などできない存在だ。だが、長年仕えてきたリヒターにとってその死はより重い物だろう。そして、ユンカースの死を招いたのはジークフラムと彼の率いる竜兵達だ。竜兵の中には、ズメイも含まれている。
直接ズメイがユンカースを殺めた訳ではない。また、互いに死を覚悟して戦場に立っている。恨む筋合いではないだろう。だが――例えそうだとしても、恨んでしまう。憎んでしまう。大切な人を失うとは、そういう事だ。
だが、リヒターはそんな素振りを欠片も見せず、ズメイに対しても態度を変える事はない。彼は…ズメイ・バルトシークはそんなリヒターに心から感謝しているのだ。




