進行準備
「ありがとう、エステル・ラグランジュ副司令官」
エステルの説明が終わると、オスカーは彼女に労いの言葉をかけた。そして一同に視線を戻す。
「副司令官の説明の通りだ。帝国は未だこちらに攻撃を仕掛ける事は出来ず、北統王国も内部に問題を抱えている。つまり――今が攻め時、という事だ。よって、これから巨大要塞軍は攻めに全力を注ぐ」
「そうね、私もそうするべきだと思うわ」
エステルが同意する。
「今までの巨大要塞軍だと、前線で積極的に戦えるのがエレオノール隊だけでどうしても攻撃力が不足してた。だけど、グロスモント隊がいれば攻撃力は申し分なし…これからは、攻めて攻めて攻めまくりましょう」
「と、いう事だ。グロスモント隊の加わった巨大要塞軍の再編成、具体的な作戦計画が終わり次第すぐさま進軍を開始する」
オスカーの言葉に一同は頷いた。
北統王国攻めの準備のため、しばらくの間巨大要塞内では慌ただしく人が動き回った。
まず、捕虜の処遇。オスカーが捕らえたリヴァーシュと椿の捕らえたパウル、ふたりの将軍はしばらくの間牢舎で暮らす事となった。さすがに敵の将軍クラスを自由にさせておく事はできない。もちろん、食事は過不足なく支給した。体に異常がないか、週に一度は救護兵のロランと町医者に診察も受けさせるようにもしている。
「捕虜の身でこんなこのような高待遇を与えていただけるとは…」
そう言って驚いたのはリヴァーシュだ。
だが、椿やエレオノール、エステルにしてみれば当たり前だった。それぞれの所属陣営の違いから敵対する事になったが、リヴァーシュやパウルに憎しみを持っている訳ではない。むしろ、いずれ北統王国が聖王国に併合されたならば、北統王国の国民にも平和で豊かな日々が訪れて欲しいと思っている。
続いて、元ジラドルフ隊の捕虜三万。彼らの扱いをどうするかは悩ましい所だった。全員を収容するだけの牢舎はないし、かといって巨大要塞内で完全に自由にさせてしまっては反乱の危険性がある。もちろん、剛直で潔い軍人だったジラドルフの元配下に反乱を企てる者など多くはないだろう。だが、例えそうだとしても巨大要塞が常に反乱のリスクを抱える事になるのは痛手だ。
そのリスクを減らすには、彼ら捕虜が聖王国に対し親しみを抱くのが一番だ。そのために白羽の矢が立てられたのは――。
「儂がラジモフ・セデルホルムだ」
広場に集められた元ジラドルフ隊の三万の前に、その男は立った。巨大要塞元司令官、ラジモフだ。彼の背後にはエステルとリヒターが立っている。
「諸君らも北統王国の兵士だ。儂の名前くらいは聞いた事があるだろう」
そう前置きして、おっほん、と咳払いした。
「皆も知って通り、儂はかつてこの要塞の司令官だった。だが、聖王国に降伏し今は市街地の屋敷で暮らしておる。…儂は、今の生活に満足しておる。何故なら、これは儂が望んだ事だからだ。儂は、自ら望んで聖王国に降伏した」
「どういう事ですか…?」
兵のひとりが疑問を口にした。ラジモフはそちらへ視線を移す。
「儂は、先の戦いでこの青年…リヒターくんに説得され、考えを改めたのだ。――諸君、君らは北統王国の現状についてどう思う?不満はないか?」
「どうって…」
「そりゃあ、不満がない訳では…」
兵たちはざわめき始める。そのざわめきを鎮めるように、ラジモフはもう一度、おっほん、と咳払いをした。
「北統王国と帝国は同盟関係にある。が、それは建前で、もはや北統王国は帝国の属国になりつつある。さらに貴族の反乱、海賊の跳梁…北統王国に未来はあると思うか?今の国王陛下に、国を纏める力はあると思っているか?」
その言葉に反論する兵はいなかった。それは、皆が薄々感づいていた事なのだろう。
「このままでは、北統王国は帝国の完全な属国となり果てるだろう。諸君らの家族も、命こそは助かるだろうが…奴隷とさして変わらぬ生活を強いられるかもしれん。そこで儂は考えたのだ。それくらいならば、あえて聖王国の軍門に降ろうと。聖王国は、併合した国の民衆を虐げるような国ではない。さらに、巨大要塞の首脳部は高潔な志を持つ方々で占められている。この方々ならば、民の平穏を第一に考えるより良い国を作ってくれるだろう――そう考えて、儂はあえて降伏したのだ。結果、儂は司令官の地位は失ったが…後悔はしていない」
広場はしんと静まり返る。皆、ラジモフの言葉に深く考えこんでいるようだ。
「諸君らも儂と同じ考えを持ってくれとは言わん。だが、しばらく巨大要塞の様子を観察し…これからどうするか、自らの頭で考えて欲しい」
ラジモフはそう締めくくった。兵達の中からまばらな拍手が起きる。その数は多くはないが、ラジモフの言葉に共感しているようだ。完全に共感はできないまでも、ラジモフの言葉に心を動かされかけている様子の者もいる。
ラジモフは、演説が終わるとエステルとリヒターを引き連れ、巨大要塞内の副司令官に入った。そこで椅子に腰かけ、エステルの顔色を伺うように見上げ…、
「い、今みたいな感じで良かっただろうか…エステル・ラグランジュ副司令官殿?」
と言った。
「ええ、上出来ですよ。ラジモフ元司令官殿」
エステルは笑みを浮かべる。
つまり、こういう事だ。先程のラジモフのこの言葉は彼の本心から出たものではない。エステルの考えた筋書をただそのまま喋らせていただけだ。今のラジモフは、全ての権力を失っている。エステルに命じられればなんでも言う事を聞くしかない立場なのだ。当然、彼が聖王国に降伏したのも深い考えがあっての事ではない。自らの命が惜しかった、ただそれだけだ。
しかし、ラジモフの言葉が全て嘘かと言えばそうではない。エステル達、巨大要塞上層部が民衆の平穏を第一に考える国を作りたいと思っているのは事実だ。だが、それをエステル自身の口から演説した所で、北統王国の兵士たちは簡単に信じないだろう。ただの綺麗ごとだと思う可能性が高い。だが、彼らの元仲間…ラジモフの口を通して喋れば話は変わってくる。同じ立場の人間の言葉であれば共感を呼ぶ事ができる。
「これで反乱の心配はかなり低下したはずよ。捕虜のみんなにある程度自由を与えても問題はないと思うわ」
「なんだか捕虜を騙したみたいでちょっと気が引けますがね…」
とリヒター。
「確かに、捉え方によっては捕虜のみんなを騙したと言えるかもしれない。だけど…この先本当にに実現しちゃえばいいのよ。聖王国も、北統王国の国民も平和に暮らせる未来をね」
「…そうっすね」
彼にしては珍しく、『めんどくせえ』とはボヤかなかった。エステルの考えに、かつて彼が副長として仕えた隊長の姿を重ね合わせているのかもしれない。




