モットレイ将軍
「来た…」
ヌガザ城砦西部城壁上に立つ見張り兵は、帝国軍本隊の姿をその目に捉えた。
「来ました!帝国軍の本隊です!」
「ほう…どれどれ、俺にも見せてくれ」
ウィル・ユンカースは兵から遠眼鏡を受け取り、覗き込む。
「おー…ほんとだ、来てるな。最初に渡河を終えた先鋒部隊、約1万5千って所か」
「1万5千…」
兵が呟く。先鋒部隊だけでこちらの5倍だ。しばらくすると、肉眼でもその存在を視認できるようになる。黒々とした帝国軍の兵達が、真昼の太陽の光を浴びながら城砦へと徐々に近付いてくる。
ツバキは、ごくりと生唾を飲み込んだ。包囲網に飛び込んだ時とは違う…ゆっくりゆっくりと、内臓を絞られていくような不快な緊張感。
「大丈夫だよ」
傍にいたエレオノールが呟いた。その隣にいるエマも、ツバキに向かって笑顔を向ける。
「…うん」
開戦の時が迫っていた。
帝国軍先鋒の指揮を務めるアーロン・モットレイ将軍は、ヌガザ城砦が近付くとその顔に猛々しい笑みを浮かべた。
アーロン・モットレイ。44歳。丸坊主の頭と、180cmを超える筋骨隆々たる体躯が特徴の男だ。いかにも軍人、という風貌の男だった。人呼んで、『猛将モットレイ』。
「マシュ」
彼と騎馬を並べる副官、マシュ・グリフィスに声をかけた。モットレイとは対照的な、ほっそりとした体躯の壮年男性だ。
「なんでしょう、モットレイ将軍」
「城砦の抵抗は激しいと思うか?」
「まあ、それなりには」
グリフィスは徐々に近付いていく城砦を見上げる。
「作戦会議では、城砦に残っている敵兵は5千程度という話だったな」
と、モットレイ。
「はい。もっとも、最高で5千…という予想です。どの程度戦える兵が残っているのか分かりませんから。実際はもっと少ない可能性もあり得ます」
「まあ何にしても、先鋒の3分の1以下の兵力という事だな」
彼の持つ笑みに猛々しさが増す。
城攻めは、攻める方が不利…というのが戦争における常識だった。しかし、3倍を超える兵力差がある場合、その不利は消える。
「攻撃可能位置に到着次第、徹底的に攻めるぞ」
帝国軍の攻撃が始まった。2000名を超える弓兵が間断なく城砦に矢を射掛ける。しかし、10mの高さを誇る城壁の上に到達する頃にはその威力は大きく減衰している。聖王国兵を死傷させる事はできない。だが、それでも問題はなかった。彼らはあくまで城攻めの援助部隊だ。
「行け!行け行けえ!」
弓兵の援護を受けた攻城部隊が城砦に迫る。手に鉤縄を持つ者あり、複数で梯子を持つ者あり、さらには馬に丸太橋を引かせている者すらあった。彼らは、騎士や重装歩兵の身につける鎧は着けていない。革の胸当てだけを装備した軽装歩兵だ。
堀際に到達した兵が城壁に向けて鉤縄を投げた。そのほとんどは、城壁の上まで届かないか…例え届いたとしても、鉄鉤が上手く引っ掛からない。しかし一部は、城壁上のちょっとした窪みや突出した部分に引っかかる。そんな兵達が縄を張り、その張力によって堀を越え…城壁をよじ登っていく。
「縄を斬れ!」
エレオノールが叫んだ。城壁上の兵士たちが剣を振るい縄を斬っていく。
「うわあ!」
「ぎゃあ!」
叫喚と共に、帝国兵達が堀へと落ちていく。
最初から堀へと降りた部隊もあった。深さ15mの堀である。梯子や縄を使って降りても、怪我をする者多かった。それでも無事に堀の下へと降りた者たちは、梯子を使い城壁をよじ登ろうとする。しかし…、
「射つっす!」
城壁の上に立つエマの号令により、矢が降り注ぐ。城壁をよじ登る帝国兵の多くは、矢を受け再び堀の下へと落ちていった。
堀に橋をかけようとした一団もあった。彼らは、まずは10mを超える長さの丸木橋を堀際まで馬で運ぶ。その後で垂直に立て――城壁に向かって倒す。
多くは、上手く引っ掛からず(鉤縄と同じだ)橋としての役目を果たせない。しかし、上手く城壁に立てかかるものもあった。
「進め!」
橋の上を帝国兵が渡る。
「聖王国軍!さっさと降伏しろォ!さもないと皆殺しにするぞ!」
渡りながら、帝国兵達は叫ぶ。この叫びもまた、戦略のひとつだった。脅しをかける事により聖王国軍の士気を挫く狙いだ。
「…落とせ」
ユンカースの指示で、城壁の上に隠されていた丸太が落とされた。帝国兵のかけた丸木橋の上に落ちる。丸木橋はあっけなく折れた。橋の上にいた兵達は、堀の下へと真っ逆さまに落ちていく。
「ちっ…」
敗退していく帝国兵たちを見て、モットレイ将軍は歯噛みした。ロンシエ会戦の様子から、聖王国軍の指揮官は無能揃いと踏んでいたのだが…ヌガザ城砦を防衛する指揮官は、意外とやり手のようだ。
まあいい。第一波で落とせるとは最初から思っていなかった。戦いはこれからだ。モットレイの笑みはますます猛々しさを増す。
ユンカースの眼前で、帝国兵たちが戦場の露と消えていく。今の所作戦は上手くいっている…このままいけば10日間城砦を守り切れるはずだ。多くの帝国兵の命を奪う事によって、聖王国軍の撤退は成功する。
「嫌だね、戦争は」
小さく呟いた。その声は帝国兵の絶叫にかき消され、誰の耳にも届く事はなかった。




