アサシン2
静かに、音もなく暗殺者はエレオノールへと近付いていく。この場にいる人間の多くは、城壁の上…ラジモフの存在に意識を奪われている。地を這い、馬の影に隠れながら進む彼女の姿に気付くものは誰もいなかった。
彼女にとって戦いの勝敗などというものはどうでもよかった。ただ、命令を遂行するだけだ。
「…」
エレオノールまで残り5、6mという距離に迫った。
(これ以上近付いたら、気付かれる…)
さすがにエレオノールはこの状況でも気を緩めてはいなかった。ラジモフの存在やで巨大要塞軍の動向に心を奪われる事なく周囲に気を配り続けている。これ以上近付けば気配を察知されてしまうだろう。となれば、ここから先は一息に飛び掛かり勝負を決するしかない。
幸いな事にエレオノールは剣を鞘に納めている。これは、指揮官であるエレオノールが武器を収める事によって兵たちに停戦の意思を示している訳だが――ハティにとっては好都合だった。暗殺者に気付いて剣を抜いたとしても、恐らく迎撃は間に合わないだろう。
(これで…三回目…)
今まで二度エレオノールを襲撃し、全て失敗している。ハティがひとりの相手にこれほど失敗を重ねるのは初めての経験だった。だが、今度こそは決める――。
少女は、一度大きく息を吸い…馬の影から飛び出した。一歩で大きく距離を詰める。後方から近付いたにも関わらず、エレオノールはすぐさまその気配を感じ取った。
(問題ない…)
むしろ好都合だった。エレオノールが後ろを振り向いた瞬間、兜の隙間に刺突短剣を突き刺しその命を奪う。ハティは瞬きひとつに満たない僅かな時間に戦略を立てた。頭で考えた訳ではない。獣が狩りをするかのような、本能による思考。
(いける)
この戦場に、ハティの行動に気付いている者はエレオノールの他にいない――はずだった。
「エレナ!」
ハティとエレオノールの間に、騎馬に乗った少年が割って入った。
(そんな、まさか…!)
少女の瞳が驚愕に見開かれる。このタイミングで飛び込んでくるという事は、ハティが飛び出す直前に気が付いていたという事だ。気配は完全に消していた。気付かれるはずはなかった…。
(くうっ…!)
椿の体が障壁となって、エレオノールを直接狙う事ができない。
ここでハティは選択を迫られた。椿を倒してからエレオノールを狙うか、椿を避けてエレオノールを狙うか。彼女は後者を選択した。その方が早いと判断したためだ。
地面から飛び上がり、椿を避けつつエレオノールを狙う…。
(よし、いける…!)
エレオノールはまだ完全に後ろを振り向いてはいない。こちらの正確な位置を把握していないはずだ。椿を避けた事でワンテンポ遅れたが、それでも間に合うタイミングだ。
少女の持つ刺突短剣が煌めいた――。
「ツバキ!」
エレオノールの取った行動は、少女にとっては意外なものだった。エレオノールは――椿を庇おうとしたのだ。椿の体を抱き寄せようと、勢いよく手を延ばす。
(え…ちょっ…!)
それは、偶然――あくまで偶然の産物だった。エレオノールの延ばした手が、椿の体を避けたハティの頭部に激突したのだった。




