勲章
城砦内南側に、二階建ての建築物がある。その中の一室、普段は会議室として使われている部屋に聖王国軍仮本営は設けられていた。
「エレオノール・フォン・アンスバッハ。百騎隊軍師たるツバキ・ニイミと共にただいま参上いたしました」
エレオノールは入室した。部屋の中には木製の長机。その際奥に王太子、そして左右にはお馴染みの幕僚達が椅子に腰掛けている。そしてエレオノールとツバキの入ってきた扉の近くにひとり、見知らぬ男が立ってる。幕僚達に比べると服についている装飾が少ない。おそらく、千人隊〜五千人隊程度の隊長を勤める中級指揮官だろう。
しかし、それよりもツバキの目を引いたのは…、
(い、犬耳だ…!)
男の頭からは、犬耳が生えていた。犬の獣人だ。異世界に来たからにはこういった人間もいるのだろうとは思っていたが…実際に目にするのは初めてだった。
「む…?」
幕僚達は、ツバキの姿を見て一瞬何か言いかけた。「そいつは呼んでない」と言おうとしたのか、「軍師とはどういう事だ」と言いかけたのか。しかし、物憂げに口を閉じた。彼らもまた疲れている。必要な事以外は口にするのも億劫だ、という雰囲気だった。
「エレオノール君、よくやった」
幕僚のひとり…口髭男のモーリスが言った。
「此度の包囲網脱出、そして城砦までの撤退が成功したのは、ひとえに君と…」
扉の近くに立つ中級指揮官に視線を向けた。
「殿を担当した、ウィル・ユンカース二千人隊隊長の功績が大きい」
「そいつはどうも」
名を呼ばれた男…ウィル・ユンカースが一歩前に進み出た。背は高くないが、目元が涼しい。美男子の部類に入るだろう。もっとも、犬耳は生えているが。ちなみに髪色は薄い茶色。年は30を少し過ぎた所だろうか。
「…その件について、私からひとつよろしいでしょうか」
エレオノールが発言する。モーリスがそちらへ目を向けた。
「なんだ」
「我ら百騎隊の行なった帝国軍の包囲網突破、その功績の最たる者は百騎隊の軍師…ツバキです。彼の献策あってこその成果でした」
「なに?そやつは確か、野営地の近くでそなたが拾ってきた子供であろう?そんな有能な男だったのか?」
「そんな話はいい!」
王太子が会話に割り込んだ。
「簡潔に述べる。エレオノール・フォン・アンスバッハ!ウィル・ユンカース!王族たる俺の命を救った功績として、貴様らに第一等騎士勲章を授ける。聖騎士勲章、特級騎士勲章に次ぐ栄誉だぞ。謹んで受けよ!」
王太子はモーリスに勲章を手渡した。そして彼の手を介して、エレオノールとユンカースに渡される。
「そこのガキ…ツバキと言ったか?にも、後で勲章をくれてやろう。ふん、泣いて感謝しろ」
「あの…ちょっといいすか?」
ユンカースが軽く手を挙げて発言の許可を求める。どことなく飄々とした仕草だった。
「なんだ、言ってみよ」
「勲章くれるってんなら、聖都に帰った後でもいいんで、ウチの隊員で戦死した奴らにも授けてやって欲しいんですがね。つか、俺はいらないっす」
「あん?」
王太子が眉間に皺を寄せた。
「いやいや、なんつーか、俺なんかが貰うのは恐れ多いと言いますか」
ユンカースは誤魔化すような素振りで手を振った。
「それより、戦死した奴らはほら…心より敬愛するする王太子様のお命を救いたい一心で戦って死んだ訳で…奴らに報いてやっちゃくれませんかね」
「むう、そうか。俺の事を心より敬愛して…」
王太子は、顎に手を当て考え込んだ。
「よし、それならば貴様の隊の殉死者全員に第四等騎士勲章を授けよう」
「恐悦です、陛下」
ユンカースは頭を下げた。それを横目で見た椿は…目にしてしまった。下を向いたユンカースの顔には表情がなかった。王太子に対する敬意など微塵も存在していない。しかし彼が顔を上げた瞬間には、すでに先ほどまでの飄々とした佇まいに戻っている。
「もう一つ、貴様らに話があるのだが…その前に、戦況を確認しておこう。モーリス」
王太子に促されたモーリスはテーブルの上に地図を広げた。彼は「おほん」咳払いして、地図上に描かれたヌガザ城砦を指差す。
「周知の通り、我らが聖王国軍兵士約五万は、現在ヌガザ城砦にて休息を取っている。しかし、だ。遠くないうちに帝国軍の追撃がここまで迫ってくるだろう。ウィル・ユンカース二千人隊隊長、それまでどれ程の猶予があると見る?」
「ま、あと一日ちょっとって所でしょうな。俺らの隊が焼き払ったロセプス橋の再建は簡単じゃないはずです。ロセプス川は広いし、今の時期は雪解け水も多く流れも速い。大軍が渡れるような橋を作るには、最低でも丸一日はかかるでしょうよ」
「うむ」
モーリスは頷いた。
「つまり、明日にはこの城砦に敵軍が攻め込んでくるという訳だ。敵も今までの戦いでいくらかは数を減らしただろうが…未だに5万近い兵力を有しているはずだ。しかし我が軍は負傷者が多く、戦闘可能な者は少ない。5万の敵とまともにぶつかり合っては勝てぬ」
モーリスは、再び「おほん」と咳払いする。
「我らはこれより聖都へ向け撤退する。しかし、我らを阻む物がある。ティラグラム山脈だ」
広げられた地図の一部を指し示す。そこには、大陸を縦断するように聳える山々が描かれていた。
「山脈越えの道は険しい。山には雪も残っているだろう。道幅が狭いために隊列も長くなってしまう。全軍が安全圏まで撤退するには…8日。いや、10日はかかるだろう」
「つまり?」
そう問いかけたユンカースだったが、すでに答えは知っている…という顔つきだった。
「誰かが城砦に残り、10日間ほど帝国軍の攻撃を防がねばならぬという事だ」
「防衛のための兵力は?」
「使えるのは3千名程度だろう。それで、帝国の追撃に対する防衛軍を結成する」
(つまり、5万の敵を3千人で足止めしなきゃいけないって?そんなの、無茶苦茶じゃないか)
10倍以上の兵力差だ。『家康の覇道』だったら、そんな兵力差で城を守っても1日も立たず落城してしまうだろう。いったい誰がそんな任務に当たるんだ――椿がそう思った瞬間、王太子が立ち上がった。
「栄えある防衛軍の司令は、ウィル・ユンカース。副司令はエレオノール・フォン・アンスバッハとする。先の撤退戦で活躍した貴様らを見込んでの命令だ。聖王国軍の撤退が完了するまで城砦を守り切れ」
序章 ロンシエ会戦 終了
第一章 ヌガザ城砦防衛戦へ続く




