形勢逆転5
北部要塞軍の中央部。
エステルは退却の角笛を鳴らすよう指示を下しつつ、退却の命令を全軍に徹底させるための伝令の派遣、さらに退却支援のための部隊派遣の指示などを細々と下す。そんなエステルの元に、左翼後方で待機していた補給部隊長が駆け寄った。
「ラ、ラグランジュ司令官代理、これはどういう事だ!」
「御覧の通り、全軍に退却を通達している所です」
エステルは補給部隊長に視線を向けると淡々とした口調で返答した。
「左翼は敵の投斧によって竜の攻めが封じられています。右翼は、どうやらエッカルト副司令官でしょうが自ら兵を率いている様子。これではさすがのエマちゃん…いえ、エマ部隊長やボゥホート部隊長も分が悪い。そして、中央ですが…」
そこまで言って、エステルは一瞬後ろを――第一城壁の上を振り向いた。しかし、すぐに正面へと視線を戻す。
「こちらもエレオノール千人隊隊長から伝令が来ています。敵の暗殺者に対応するため十分な攻撃力を発揮できないと。つまり、私たち北部要塞軍がこれ以上攻めた所で巨大要塞を落とす事はできないという事です」
「で、では、攻めを諦めるのか?」
淡々と事実を述べるエステルとは対照的に、補給部隊長は狼狽していた。
「しかし、まだ退却するのは早いはずだ!竜は投斧に負けた訳ではない!戦えば勝てる公算は高い!中央もアンスバッハ殿は健在なのだろう!?ならば戦うべきではないか!右翼についても、援軍を送れば持ちこたえる事ができるはず――」
元来、補給部隊長は巨大要塞攻めには否定的だった。しかし、一度攻めに加わった以上は何としても落としたいと思っていた。当然の考えだろう。北部要塞司令官の正式な許可も得ず出陣し、成果が得られなかった…などという事態は、当然許容できるものではない。
「確かに目の前の敵についてのみであれば勝算はあります。しかし例え敵を突破できたとしても、こちらの兵力は削られる事でしょう。そして敵には予備兵力があり、堅牢な城壁も二枚残っています。消耗した状態で突破できるとは思えません。敵の準備不足を突き、竜で一気に城壁を破る作戦でしたが…敵もきっちりと対応してきました。これ以上攻めても無駄でしょう」
「そ、それでは…ど、ど、どうする…!?」
「どうするも何もありません。打つ手なし――です」
エステルがそう言い切ったその時、エステル達の後方…つまり、北部要塞方面から伝令が駆けてきた。
「ラグランジュ司令官代理!」
「ここよ」
エステルは手を挙げて伝令に応える。
「北部要塞司令官、ヒーマン閣下よりの伝令をお伝えします!た、直ちに撤退せよとの命令です!ヒーマン司令官はラグランジュ司令官代理の独断専行にお怒りです…!」
「なるほど。ヒーマン司令官と連絡が取れたのね。…了解したわ、伝令ご苦労様」
エステルは静かに答えた。




