北へ
北部要塞の治安維持に必要な人員を残し、出発した兵力は2万5千名。北部要塞の歴史始まって以来の大規模な進軍だった。エステル率いる北部要塞軍は、夜道を北へ北へと進む。
敵に発見されるのを避けるため、松明の数は最小限だ。しかしそれでも行軍が滞りなく行われているのは…数10m間隔ごとに、道の端に提灯が掲げられているためだった。提灯の朧げな光が道となって、進むべき方向を示している。ただそれに従って行軍していけばいい。これは、エステルと椿が事前に相談して設けたものだった。
(いつの間にこんな準備を?)
そう訝しむ兵もあったが、それを口にする事はなかった。戦いへの緊張の方が勝っていた。そんな小さな事に構っている余裕はなかったのだ。
北部要塞軍は、北へ北へと進む。――と、ここでおかしな事に気がついた者がいる。補給部隊長だ。彼は、兵たちの後方にいたのだが…違和感を覚えると、兵たちを掻き分け隊列の先頭にいるエステルの元へと向かった。
エレオノールや椿と並び先頭を進むエステルを見つけると、その背に向けて声をかけた。
「ラグランジュ防衛部隊長…あ、いや、司令官代理!」
「ん?ああ、どうしたんですか?」
エステルは振り返った。危機的状況であるというのにも関わらず、彼女の表情は落ち着いている。
「わ、我々は大型投石器を叩くために進軍しているはずだな!?」
「はい、その通りです」
「しかし、もうすでに大型投石器の射程範囲を超えている。ここから撃ったのでは北部要塞に届きはしないだろう」
「つまり…?」
「つ、つまりって…そんな事言わずとも分かるだだろう!この辺りに、大型投石器は存在しないという事だ!」
「ああ、その事ですか」
エステルは、補給部隊長を宥めるかのように柔らかく笑った。
「大型投石器および、それを守っていた敵部隊はこちらの出撃を察知したようで…撤退しました」
「何!?そ、そうか…それは良かった。しかし、それならばこれ以上進軍する必要はないだろう。北部要塞へと戻るべきではないか?」
「いえ、戻ったとしてもしばらくすると大型投石器の攻撃が再開するでしょう。そうならないために、大型投石器を叩いておく必要があります。幸い、大型投石器の移動には時間がかかります。間もなく追いつけるでしょう。戦闘が近くなれば、号令を発します。どうかそれまで行軍を続けてください」
「む…う…そうか…」
補給部隊長は、まだ何か言いたい素振りを見せていたが…エステルの意見に抗う事もできず、引き下がった。
北部要塞軍は、さらに北へ北へと進む。




