第一段階
その日、椿はまだ日も上らないうちに隊舎を抜け出していた。薄暗い要塞内を燭台の灯りで照らしつつ慎重に進む。
「おや…君は…?」
不意に、背後から男に声をかけられた。わずかに体をびくつかせ、後ろを振り向く。
「確かラグランジュ防衛部隊長の所の…」
「ツバキです。ツバキ・ニイミ」
「ああ、そうだったね。ツバキくん。いや、ツバキ『くん』なんて呼んじゃダメかな。何しろ君はその歳で千人隊の実質的なNo.2って聞くからね。将来俺なんかより出世するかもしれない。今のうちから、ツバキ『さん』って呼んでおいた方がいいかな」
そう言って男は笑う。彼の名はコルバン。北部要塞にいる部隊長のひとり、警邏部隊の部隊長だ。
「いえ、そんな…」
椿は困ったように苦笑した。コルバンは、端的に言うなら『冗談好きのおじさん」といった人物で、決して悪人ではない――が、北部要塞上層部の一人である事には変わりない。用心して相対しなければならない人間のひとりだった。
「それはそうと、こんな時間にどうしたんだい?歩哨の交代…じゃないよね?」
「はい、今日は非番です。今日から3日間休みを貰ってるんで、ちょっと遠出をしてエステルさん達と釣りに行く約束をしてるんです。移動に時間がかかるらしいんで、この時間に出発しないといけないらしくて…」
「おお、そうかい。それなら気をつけてな。ぜひ、ラグランジュ防衛部隊長の酒のサカナでも釣ってあげたまえ。ははは」
そう言って、コルバンは去っていった。椿は、軽い罪悪感を覚える…何故なら、今言った事は事前に考えておいた嘘だからだ。『ちょっと遠出を』というのは本当だったが、目的地は海ではない。
椿は北部要塞の北門に到着する。そこではすでに、3人の人物が椿を待っていた。3人とは、エマ、リヒター、そしてエステルだ。
「すみません、遅れちゃって」
「大丈夫っすよ。自分たちが早く着いちゃっただけっすから」
蝋燭に照らされ、闇の中でエマの笑顔が浮かぶ。
「それじゃ、全員揃った所で行きましょうか。作戦の第一段階、発動って事で――」
エステルの言葉を受け、全員が頷き合った。




