愚王
「朝日を見るったってあんたねぇ!あの場、どんな場か分かってたんですか!!皮肉なことに今は真っ昼間で、朝日が見れるような時間でもありませんが!?」
馬車に乗ってそうそう、イアは唸るように叫んだ。彼は三年前から黒い王に仕える護衛の一人である。といっても、この王は何故か護衛を数人しか付けないもんだから、まだ若造であるが、重鎮の一人でもあった。
そんな彼は、王といることで霞んではいるが、それでも十分に顔が整っている青年である。筋骨隆々とまではいかなくとも、服の上からでもはっきりと分かるくらいには筋肉がついている。短く切られた髪は多方向に向いているが、ざんばらな雰囲気は感じられない。襟元の髪だけを長くして、結んでいるのが特長的であった。象牙色の肌と枯草色の髪と瞳を持つ、雰囲気が良い好青年である。たれ目とその目元にあるほくろが、警戒心を無くさせてしまうような、そんな魅力を持っていた。
はずなのだが、そんな彼は今は眉間に皺を寄せていた。好青年の雰囲気はどこへやら、呆れと怒りと焦りを混ぜた、なんとも言い難い顔をしている。暖簾に腕押しをしているような王との会話に、苛立ちを感じているのだ。
二人は今、向かい合って馬車の中に座っていた。流石一種族を率いる者の馬車と言うべきか、向きあってだべれる広さなど十分にある。椅子もふかふかであるから、旅疲れの心配も気にすることはないだろう。
「分かってる、分かってるさ。そうカンカンと怒るものでは無いであろう。だいたい、これくらいのことで怒るようなら王など出来まい」
「そんな甘ったれる状況じゃあ無いから言っているんです!!」
甘ったれる、などとは酷い言い分だ、と悲しそうに黒い王は溜息をつく。どこか誠意が感じられないのは、気の所為であってほしいとイアは思った。何を隠そう、この黒い王こそが現魔王その人なのだが、その名前に合う威厳を持ち合わせているかといるかと言えば、どもってしまうような人であった。だからこそ、イアがここまで言っても許されるのであるが。
そしてイアの言うとうりに、今はそんな状況ではないのだ。産まれ変わる生き物に、毒味を付けるほどに。
「あのダークエルフの反乱から、まだ十数年しかたって居ません。王の存在に異議を唱える者は少なくないのですよ!!いつ、どこで、戦乱が起きるか分からないんです!!実際、あんたが四日前に死んだ時に俺らがどんだけ大変な思いしたか分かってますか!?」
「それはさぁ〜。……いや、まぁ、本当にすまんことをした…」
王は、死んでからちょうど一日経たないと生まれ変わることが出来ない。逆に言えば、一日の間は王の存在を気にせずに、なんでも出来てしまうということなのだ。実際に四日前には城に反乱軍が押し寄せ、それはもう大変な騒ぎであった。魔王は自身が「おはよう!」と元気よく寝室から現れた時に見た、恨めしそうな臣下の顔と鬼のような説教を思い出して、心底すまなそうな顔をした。「寝室で産まれるなんて、ラッキー!」と思っていた自分が哀れになるほどだ。
「すまん……今まで死んでも特に大きなことは起きなかったから…あと最近死んでなかったし感覚がマヒしてたというか……」
「死んでなかったんではなくて、死なせなかったんですよ!!」
イア達にとっても、あれは目を離した隙のことであった。現在、世の中への不安もあってか、王への信仰が過度に達してしまう者も多い。イア達臣下にとってはた迷惑な話であるが、城下町はずれの小さな村では、"魔王教"とかいう宗教が秘密裏に流行っているらしいということもあった。ちょっと視察に出てみたいなぁとかいう魔王の申し出(と、いう名の我儘)に渋々頷いたところ、どこから聞きつけたのか信仰徒に押し寄せられ。やっとの事で城に戻り一息ついたら、魔王が「なんか美味そうなものを貰ったぞ」と手に渡されたものをそのままパクリと食べたのだ。慌てて吐かせようとするも、間に合わず。息を切らしながら「ちょっと頼む」と魔王は死んだ。今まで守ってきたのはなんだったのかと、空気がお葬式のようなものになったものをイアは覚えている。この場合弔っているのは魔王ではなく、自分達臣下の努力であった。
「それで、こんなことがあったから王どうし互いの国で何かおかしなことは無かったか話し合おうって、あんたが言って!それで!あの有り様ですか!?王としてどうなんですか!!このままだとぐうたらな愚王として臣下からも反乱起きますよ!!!」
イアは精一杯叫ぶ。しかも、ここでは対面上"魔王が言った"ということにはなっているが、実際この会談を提案したのは宰相の男、ファアラである。先程魔王の耳に囁きかけたものだ。臣下の中で一番長く魔王に務めている。それこそ、ダークエルフのいざこざがある前からずっと仕えている老エルフであった。忠誠心は一番に高いが、三日前に一番怒っていたのも、彼である。そして魔王が一番ショックを受けていたのは、彼の譴責であった。
「そこはほら、元からファアラに任せているのもあるしなぁ。」
そう、下を見ながら言う魔王に威厳など一欠片もなく、イアは疲れたように背もたれに寄りかかった。それを見て、慌てたように魔王は話しかける。
「なに、今回はファアラが甘やかしてくれたのだから、それ相応の責任ははたしてくれるであろうよ。」
それを聞いて、イアは額に手のひらをのせた。本当に彼が王であるのか、疑いたくなった。わざとらしくため息をついて、そして父が言ったことを思い出す。
「私は、我らが王を恨んでいる。それでも、彼ではなく彼の行いを恨んでいたはずなのだ。
………しかし今は、王自身を恨んでいる。私が彼に仕えることは、もう、ないであろうよ」
憧れの人は、そう言ったのだ。その背中に哀愁が漂っていたのを、覚えている。
夕陽が眩しく輝いて、もうすぐ夜が来るという時間。父は自身を夕陽から守るように立っていた。顔は見えない。あの時、夕陽を目に焼き付けていた父がどんな顔をしていたのか、それを知ることが出来れば、今の気持ちも言葉にあらわすことができるのであろうか。
「きっと、貴方は今、城を出てはいけないんだ………俺は頭が良くないけれど、それでも、今はファアラのじいさんに頼ってはいけないんですよ………」
先程の王との会話を思い出す。ヒトの王は、「民が心配だから、帰らせてもらう」と言った。今、王がすべきなのは民を安心させることなのだ。
「"朝日を見に行く"………それがどれだけのことか、分かっているんですか。」
「…あぁ」
「悪いですけど、俺には、分からねぇですよ…」
城を出れば反乱の狼煙がまた、あがるかもしれない。外に出れば誰が敵か分からない。国を出て、ヒトに害されでもしたらそれだけで国際問題なのだ。それでまた戦が始まったら、今度こそどうなるのだ。
だからこそイアは分からない。その行為に、戦を天秤にかけられるほどの価値など無いだろうと思っている。
「………悪いな、我には価値があるのだ」
「国には?民には?」
「………分からない。正直なところな」
「…王失格ですよ、あんた」
「……だとしたら、どうする?」
「分からねぇですよ」と小さく呟く。イアが今ここにいるのは、仕事として王を守るためだ。生活の為だ。ただ、確かにそこにあるべきものがないのだけが分かった。誇りだ。彼を守ることに、正しさも喜びも感じないのだ。
「分からねぇよ」と、もう一度ぶっきらぼうに呟く。馬車はくらい雰囲気でもただ一定のリズムで進んで行った。イアは景色を見る訳でもなく、ただ手のひらでおおった暗闇と向かい合い続けた。