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ポスター  作者: 長迫
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6

 相変わらずレコード屋は客が少なかったし、珍しいことは何一つ起こらなかった。

しかしイサムの頭はあのポスターでいっぱいで、それが味気ないなどとは決して思わなかった。

もはや現実には興味がない。

イサムは現実逃避をしている自分を嘲笑する。

謎のポスターの正体を躍起になって探ろうとするみじめな男。

しかしあのポスターは本当に非現実と呼べるのだろうか。

綿埃をつけたレコードを飽かずに拭いてまわりながらイサムは考える。

あのポスターが現実とほど遠いなんて、まだ決まっていない。

現実に即したものかもしれない。

つまり、あのポスターを突き詰めることには何らかの意味があるかもしれないということだ。

取るに足りないと笑う人もいるかもしれない。

しかしイサムは藁をも掴む思いで、ポスターにのめり込むことにした。

今や得るものも失うものもない。

何を傷つけようが、逆に手に入れようが、イサムは構わなかった。






 「ブライアン・ジョーンズみたい」


イサムの髪の毛の変化に一番最初に飛びついたのはミツだった。

狭いスタジオの中に、少しハスキーなミツの声はよく通った。

イサムはミツの手を邪険に振り払う。

ミツはあははと下品に声をあげて笑った。

こんな小さなスタジオに5人もの人間がぎゅうぎゅう詰めになっている。

空気も悪いし、身動きひとつとるのも一苦労だ。

ばらばらと散らばったシールドを踏まないように神経を尖らせる。

難聴を促すクラッシュシンバルとベースアンプに挟まれて立つ。

裸電球が頭に触れる。

ミツだけはひとり優雅にギターアンプに腰掛けている。


 「お前いちいち練習見にくるなよ。狭くて迷惑なんだよ」


イサムはミツが苦手だ。

押しの強い性格で、なんだかんだと口うるさいミツは、バンドのことのみならずイサムの私生活にまで干渉してこようとする。

イサムはただでさえワカゾノで手一杯なのに、ミツをも入れ得る視野はもはや持っていなかった。

イサムはミツのいいところなどひとつも挙げられない。

バンドの女性ファンには一人残らず皮肉を言って回るし、自分の気に入ったアレンジで演奏しないとステージにビールをふりかける始末だ。

散々酔っぱらったあと、夜中の2時すぎにイサムの家に訪ねて来たこともある。

バンドメンバーへの借金など朝飯前だし、なにより世界中の男は皆、自分に恋してると思っている。

ミツとはそんな女なのだ。


 「タッチが浮気したら困るじゃない」


イサムのコーラを勝手に飲み干したミツは、空のペットボトルをスタジオの床にぽんと投げた。

中身が少しこぼれてシールドにかかった。

スタジオの管理人に見つかりでもしたら厄介なことになる。

ミツはそんなのお構い無しというように、口を半開きにしてドラムセットを眺めている。

イサムはミツのこの顔が嫌いだ。

ミツは鼻炎アレルギーを持っているせいで、どんなときでも鼻が少し詰まっている。

だから口で呼吸しないと、苦しくて仕方がない。

ところがその口を半開きにしたミツの顔つきは実に呆けていて、イサムの不快感をふつふつと誘った。


バンドのギタリストであるタッチとイサムは中学生のときからの友人だ。

休みの日は二人で音楽を聴いたり映画を観に行ったりして過ごすのが常だった。

タッチもイサムも高校を卒業すると同時に地元を捨てて首都圏でバンド活動をすることだけを夢みて、子どもながらに必死だった。

しかし現実には、地元からはほど近く首都圏からはほど遠い、中途半端な町での八方塞がりの生活しか現れなかった。

同じ挫折を味わった者同士、腐れ縁を歓迎する。

でもイサムにはタッチが自分と同じ種類の者とは思えない。

タッチはイサムよりもずっとハンサムで頭もよく、人懐っこい。

イサムはこの腐敗した生活へと伸びる一本道しか持ち合わせていなかったが、タッチには何本も道があったはずだ、とイサムは思う。

タッチは迷うことができた。

わざわざこの道を選んだのだ。

タッチは自らの意志で腐敗した生活を選び抜いた。

だからタッチには後悔することもできる。

周りの世界を見ることもできない、高い塀に囲まれたような道を歩んでいるイサムには後悔するさえ未知のものだ。

イサムはタッチがこんあ自分に同情しているのではないかと疑った経験もあった。

腐れ縁を馬鹿のひとつ覚えみたいに信仰して、それでこんな暮らしを選んだのはないだろうか、と。

でも馬鹿らしくてそんな考えはすぐに忘れた。

ただ言えるのはタッチはイサムよりも遥かにまともな人間だということだった。


 「聞き捨てならないなあ、みっちゃん。俺は神に誓って浮気なんてしないね」


タッチのおっとりとした声がマイクを通してスタジオの中を跳ね返る。

ミツがスタジオに出入りするには理由がある。

タッチのガールフレンドなのだ。

イサムは何故タッチがミツを選んだのか微塵も理解できなかった。

この生活といい、友人といい、ミツというガールフレンドといい、タッチは何かと選択を誤る不幸な男だともイサムは思う。

言うまでもなく、温和な性格のタッチはミツのやりたい放題を全て容認するため、完璧に尻に敷かれている。

イサムは気の毒で見ていられないと思う一方で、自分とワカゾノとの関係も似たようなものなのかなと思ってしまった。

スタジオの窓から外を見ると、もう街灯もちらほらとしか点いていない。

イサムの喉も涸れはじめ、タッチも手首が痛いと言い始めた。

世は寝静まっている。


 「終わろうか」


タッチの一声でイサム等はスタジオを後にした。




また身の入らない無駄な時間を過ごしてしまったと、イサムは大あくびをしながら考えた。

スタジオが入っているビルの前で煙草を吹かす。

ワカゾノが頭をよぎる。

あいつはもう帰っているだろうか。

これからアルバイトだというタッチを駅まで見送り、酒を飲んでから帰るというドラムのトミーとベースのツヅキバシと別れた。

そしてイサムはまたあくびをする。



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