5
携帯電話の間抜けたアラーム音が耳元でうるさく鳴って、イサムは身体をこわばらせる。
たった3時間しか寝られなかった。
むっくりと起き上がり、両手の平でごしごしと顔面をこすった。
首をひねって部屋を見渡すと、ワカゾノの姿はなかった。
いつの間に出かけたんだろう。
ダイニングテーブルの上には、手つかずの料理が乗ったままになっている。
自分が押し付けた煙草が淋しげに皿に乗っている。
大きな伸びをしてから食器を洗う。
何時間か前までは、けっこう美味そうな代物だったのになとイサムは考える。
のろのろと着替える。
やはりどの服を着てもワカゾノの香水の匂いがする。
不自然な折り目がついた雑誌が床に転がっている。
今朝丸めてワカゾノを叩いたものだ。
あぐらをかいて雑誌を開き、イサムは何の記事を読むでもなくぱらぱらとページをめくり続けた。
ワカゾノのことを考えたり、仕事のことを考えたり、バンドのことを考えたりした。
冷たい空気が床から伝わってくる。
ベッドから毛布を引きずり降ろして頭からかぶった。
暖房はできるだけつけたくない。
ワカゾノがイサムのいない時分に好き放題使うため、光熱費が馬鹿にならないのだ。
雑誌には、豊かそうで自身に満ちあふれた男たちがたくさん出ていた。
そのガールフレンドたちも同じように余裕の表情で掲載されている。
いい気なもんだ。
イサムは化粧品のCMのページで手を止めた。
トップレスの女が花畑にいる写真だった。
鮮やかな色彩の花々に囲まれた、真っ白な肌の女。
口紅のCMなのか、唇だけが妙に艶めいている。
髪の毛と花で胸を隠している意外は、シルクの長いスカートを纏っているだけだ。
綺麗な写真だった。
イサムは夜明け前に見た一枚のポスターを思い出す。
デニムをはいた女のトップレス写真。
急に思い立って、かぶっていた毛布をはねのける。
カーペットの上に散乱したガラクタの中から、イサムはかろうじて一本のボールペンを見つけ出した。
家路についているとき繰り返し呟いていた住所を、もう一度口に出してみる。
意外にもしっかりとしていた自分の記憶力にイサムは喜々として、住所が書きなぐられたページを破ってポケットに入れた。
あのポスターは何なのか。
ただこの住所だけが書かれた一枚のポスター。
この住所には何が隠されているんだろう。
イサムはちょっとした謎解きをしている気分になって、それまでの鬱々とした空気がどこかに消えてしまったような気にさえなった。
あの女は何者で、あのポスターの目的は何で、あの住所は何を意味するのか。
イサムは寒々とした町並みを歩く。
売れないレコード屋に行くためだ。
しかし心の奥底が高揚している。
この町のどこかにあのポスターの女がいるかもしれない。
レコード屋にふらりと立ち寄ることがあるかもしれない。
バンドのギグを聴きに来るかもしれない。
何かの間違いでボロアパートを訪ねてくるかもしれない。
道ですれ違ったり、スーパーではち合わせたり。
イサムの想像は尽きなかった。
なにより、あのポスターに記された住所には何かあるに違いない。
イサムはポスターの女の恋をしたわけではなかった。
そんな浅はかな問題ではない。
運命的なつながりとはこんなことを呼ぶのだろう。
イサムはそう信じて疑わなかった。
あの女は、きっと自分の生活を180度変えてくれるはずだ。
モノクロの画面がカラーに転じるように。