4
結局、イサムはワカゾノと下らない押し問答を繰り返した末、厨房に立つ羽目になった。
もう一度テレビのスイッチを入れて冷蔵庫の中を引っ掻き回す。
テレビで放送されている料理番組に触発され、どうしても食べたいと言ってワカゾノが聞かなかったからだ。
ぶつぶつと文句を言いつつも、イサムは手際よくテレビの言う通りに調理していった。
田舎の父親が調理師免許を取得していたこともあり、幼いころより料理が得意だった。
両親にはそんな父にならい、調理師免許を取って小さな店を出すことを期待されていたが、この通りだらだらとバンド活動に興じている。
こんなことになるんだったら、大人しくレストランで修行するなり調理師学校に通うなりすればよかった。
相変わらず女性アナウンサーはきんきんした声でオーバーなリアクションをとっている。
トマトソースの美味しそうな匂いが鼻をつく。
眠たい目をしばしばさせて、ワカゾノを呼ぶ。
「オリーブオイル取ってくれ」
「どこにあるか解んない」
ワカゾノの貧乏揺すりにも苛々が募る。
もう既にダイニングテーブルについたワカゾノはさっきまで騒いでいた空腹が嘘かのように料理に興味を示さない。
そういう奴だ。
イサムは鼻歌を歌って丸々とした鶏肉を炒める。
いちいち振り返ってテレビの進行を確かめなければならないのは骨が折れる。
「ワカゾノー、リンゴっていつ入れてる?」
「さあね」
頬杖をつきつまらなそうにテレビの画面を眺めるワカゾノの横顔を恨めしそうに見やって、イサムはテレビとキッチンとの間を行ったり来たりして調理を続けた。
途中、カーテンを開けにベッドの方に走った。
眩しい光が差し込んでくる。
2人が住んでいるのに、一人暮らしのころよりも忙しくなっているのはどういうことだ。
「さっきから古い歌うたってるね、イサム」
自分で振りかけたスパイスのせいでくしゃみが出る。
パーカーの袖で鼻を拭いながら、イサムはワカゾノの言葉に飛びついた。
「なんて曲だっけ、これ?」
「verveのだよ。verveのbittersweet symphony」
そうだ。
たまにはワカゾノも役に立つ。
何時間も思い出せなかった曲名が解っただけで、なんだか気分がすっとした。
些細なことなのに、不思議だなとイサムは思った。
「いい歌だよね。サイコー」
その言葉とは裏腹にだるそうな声を出すワカゾノの前にイサムは料理を出してやる。
テレビの画面は一変し、天気予報を放送している。
ワカゾノは横目で皿を一瞥し、すぐに天気予報に夢中になった。
「食えよ。お前が作れって言ったんだろ」
無言でフォークを手に取ったワカゾノは2、3回皿の上の料理をかき回すと、食べるでもなくぼんやりとしたままになった。
もともと食欲など無いイサムが煙草に火を点けると、ワカゾノも欲しがった。
煙草の箱とライターをテーブルの上に滑らせる。
天気予報はこれから急に寒くなると伝えている。
煙草をくわえたワカゾノは大きな音を立ててフォークを皿の上に落とした。
「馬鹿。食え」
イサムが煙を顔に吹きかけるとあからさまに嫌な顔をして見せたワカゾノは、すぐにふんと鼻で笑ってイサムの神経を逆なでした。
「つまり重要なのはさ」
ぐっと身を乗り出してイサムの顔を覗き込む。
そしてさっきの仕返しと言わんばかりにワカゾノはイサムの顔面をめがけて煙草の煙を吹いた。
「料理そのものじゃなくて、あんたが俺にちゃんと料理を作るかどうかってことだよ」
イサムは眠い目をこすり、鼻歌をうたう。
綺麗な青空が窓の外に我が物顔で広がっている。
再びフォークを手に取って料理を食べようとするワカゾノと、ベッドの向こうの窓を交互に見比べる。
ワカゾノの皿に吸いかけの煙草を押し付けると、じゅっと乾いた音が響いた。
あっけにとられた顔で固まっているワカゾノと言葉を交わすこともなく、イサムはベッドに向かった。