20
バンドが自然消滅の形で解散してしまったのは、イサムがミツとデートをして間もなくのことだった。
多くの時間と経験を共にしてきた関係がこんなにも簡単に壊れてしまうことをイサムは恐ろしく思った。
なんて、もろくて不安定なんだろう。
最後のスタジオ練習の日、イサムはタッチに呼び止められ、スタジオに残った。
理由を尋ねるだけ無駄だが、タッチはこのところかつてないほど不機嫌だった。
イサムはでも悪びれる様子もなくタッチと向き合うことにした。
タッチはそわそわと落ち着きなく動き回っていたが、言葉を発することができずにいた。
「タッチ、お前がムカついてんのは俺か?それともミツ?」
タッチは眉をひそめてイサムの顔を一瞥し、うつむいて答えた。
「多分、どっちでもないんだ。すごく頼りない答えだけど。どっちでもない」
イサムは黙ってシールドを片付ける。
タッチは相変わらず緊張しながら突っ立っている。
前髪を触る。
イサムはこれだけの仕草にも敏感に反応し、そっと手を引っ込めた。
「この前髪好きなの」
ミツの声が耳の奥で聞こえるような気がする。
何が変わってしまったんだろう。
あたしは変わってない。
ミツが言う。
俺だって変わってない。
イサムは心の中でミツに返す。
タッチが変わってしまったのだろうか?
いずれにしても、変わらないものなんてこの世に何も無い。
ポスター。
イサムはこちらをじっと睨む女の顔をぼんやり頭に思い浮かべる。
やっぱり、あのポスターを見てからだ。
何もかも、すっかり変わりつつある。
ここしばらく見ていないワカゾノの、洋服の袖を噛む顔を思い出す。
ミツと朝まで遊んだ日を思いめぐらして、目の前のタッチを眺める。
どうにでもなればいい。
イサムはどうでもよかった。
こんな現実、いらない。
こっちから願い下げだ。
スタジオの外でイサムはタッチに煙草を1本やった。
タッチは一度断り、そのあとすぐに受け取った。
青白い街灯の下でイサムとタッチは長い間押し黙っていた。
イサムはこれまでにないほど集中して煙草を吸った。
美味くも不味くもなかった。
タッチは煙草を踏みつぶしてモッズコートのポケットに両手を突っ込んだ。
弱々しいイサムの口笛が夜中の道に虚しく響く。
「よくわかんないけど。変わらないものなんて、何もないんだろう、イサム?」
イサムは今度こそ真っ直ぐにタッチの目を見た。
どうしてそんなこと言うんだ。
ひんやりした空気の中でイサムは苛つきを隠せない溜息を吐く。
終わりなんだな、とイサムは思う。
もう何もかも終わりなんだ。
現実の怖いところは逃げ場なんて用意されてないってことだ。
目を泳がせたまま棒立ちになっていたイサムの腕をぽんと叩いてタッチは暗い道を歩いて行った。
イサムは何も言わなかった。
言えなかった。
モッズコートの後ろ姿を見る。
手の平で額を押さえる。
こうすると、なんとなく気が静まるように思えたからだ。
でもそれは単なるイサムの思い込みだった。
街灯の下から動くことができない。
タッチを失い、ワカゾノを失って、バンドを失った。
現実を捨てようと思ったら、大事なものを失ってしまった。
そうか、とイサムは思う。
これが現実を捨てるという意味だったのか。
マフラーを鼻までぐるぐるに巻いて家路につく。
ちょっとでも気を緩めると嗚咽してしまいそうだ。
イサムはマフラーの下で大きく息を吐く。
こんな心細い思いをするのは、生まれて初めてのことだった。