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ポスター  作者: 長迫
19/20

19

 グラウンドの真ん中まで走って行くミツの後ろ姿をぼんやりと見て、イサムは肩からギターを降ろした。

イサムは地面にあぐらをかき、チューニングを始めた。

長年バンドをやっているせいでEの音はすっかり耳に馴染んでいた。

思ったより透き通る音が出る。


 「これどうしたの?」


単純なコード進行で適当に弾きながらイサムはミツに尋ねる。


 「もらったんだってば」


ミツはイサムの真横に脚をくずして座った。

 

 「うん、誰に?」


 「誰だっていいじゃない」


鼻をすすって下を向きながらミツは投げやりに言った。

イサムはおかしなことを質問してしまったように思えて、少し気まずくなった。

風が吹くとグラウンドの砂が舞った。

イサムは参って目をぱちぱちさせたが、ミツはあまり反応しなかった。

ミツは真剣な顔でスニーカーの紐を結び直している。

財布からピックを取り出してイサムはiggy popのno funを弾く。

ミツは楽しそうに手を叩きながら大声で歌った。

かつてsex pistolsがカバーしたように滅茶苦茶に歌った。

かすれたミツの声はパンクによく合った。

アコースティックのパンク。

イサムとミツはげらげら笑いながら歌った。

真っ暗な校舎を見る。

イサムは小学生のころの自分を思い出す。

小学校は嫌いだったのに、何故かほんのりと暖かみのある思い出しか蘇ってこなかった。


歌い終わるとミツがイサムの前髪をサラサラと撫でた。

ジャケットのポケットから煙草を取り出して火を点けるイサムをミツがじっと見つめる。


 「なに?」


 「その前髪好きなの。それだけ」


イサムは吸いかけの煙草をミツにやった。

空には相変わらず厚い雲がかかっていて星はおろか月もない。

ミツはパーカーの袖を伸ばして脚をこする。

ギターのチューニングを用心深く直してイサムはどんどん曲を弾く。

始めはミツも知っていそうなメジャーな曲を選んでいたが、自分が好きな曲もたくさん弾いた。

時折、風が吹いて口に砂が入ってくる。

ミツと一緒にグラウンドに唾を吐く。

ミツが楽しそうに涸れた声で笑う。

イサムはタッチのこともワカゾノのことも、ポスターのこともすっかり忘れていた。

それほどミツと一緒にいることのインパクトが大きかったからだ。

イサムはデュエットできる曲を探して弾いた。

pete bjorn & johnのyoung folksを弾くとミツは大いに喜んだ。

たまに通行人がグラウンドを覗きにきたが、すぐに帰って行った。

あれだけ寒かったのに、歌っているうちに汗が出てくる。


左手が痛くなるまで弾いて、水ぶくれができて限界になったとき、イサムは乱暴にギターを放り投げた。


 「もう駄目だ。指いてえ」


水ぶくれを触りながらイサムが音をあげると、ミツはあからさまに落胆した顔を見せたがすぐに切り出した。


 「飲み物買いに行かない?」


 「名案だ」





最寄りのコンビニに着くまでも二人で歌った。

ミツは途中、イサムの左手をとって水ぶくれを力いっぱい押してからかった。

あれだけ曇っていた空はいつの間にか晴れ、無数の星がきらきらと光っていた。

 

 「天然プラネタリウム」


ミツも空を見上げている。

パーカーの背中には素人文字で『FUCK』と書かれていた。


 「ひょっとして自分で書いた?」


イサムはミツの背中を軽く押して訊いた。

ミツは少し間を置いて言いにくそうに口を開く。


 「うーん、これ、タッチのなの」


イサムはそっか、と言って煙草をくわえる。

急に罪悪感にかられ、気を紛らわしかった。







コンビニで買った酒とジャンクフードを抱えて二人はまたグラウンドに戻った。

ビールが嫌いなミツは甘いアルコールの缶を開けて、イギリス訛りで「チアーズ」と言った。

イサムとミツは他愛もない話をする。

月明かりがグラウンドを照らす。


 「前だったら」


トルティーヤにかじりついて、ミツが話し始める。

イサムは黙りこくってミツに耳を傾ける。


 「前だったらあたしのこと、ちっとも構ってくれなかったのにね」


空き缶を握りつぶして、イサムは考え込む。

ミツが鼻をすする。

前髪を触り、イサムはのろのろと口を開いた。


 「それは、俺が変わったって意味?」


首を傾げてミツが答える。


 「あたしは変わってない」


 「俺だって変わってない」


トルティーヤの3分の1ほどを食べて、ミツは残りをイサムに渡した。


 「タッチは?タッチは変わったと思う?」


細い脚を投げ出してミツが訊いた。

イサムも真似をして脚を投げ出してみる。


 「さあ」


トルティーヤを平らげてイサムは言う。


 「解んないけど。変わらないものなんて何もないんだよ」


イサムの目を見てミツは何故だか安心したような表情を見せた。

うんうんと何度も頷いてゴミをビニール袋に押し込む。

イサムはミツの小さな肩に腕を回す。

それから空が明るくなるまでイサムはミツと話していた。

イサムの頭にははっきりとタッチの存在があったにも関わらず、罪責感はなかった。









ミツは携帯電話の時計を見て、だるそうに学校があることをイサムに告げた。

イサムが帰ろうか、と立ち上がるとミツはポケットから黒いアイライナーを引っ張り出した。

背伸びしてイサムの下まぶたにアイラインを一気に引く。

あっけにとられたイサムは為す術もなく立ち尽くした。

生まれてから化粧などしたことのないイサムは、初めてのアイラインの感触を不思議に味わっていた。

もっと硬いものだと思っていた。

ミツは気が済んだというように、イサムの目を満足げに見上げる。


 「うん。ピート・ドハーティーみたい」


イサムは自分の顔を見てみたくもあったが、どうせ長い前髪で隠れてしまうだろうと思って何も言わなかった。







イサムは結局、ミツを大学まで送った。

二人とも寝不足と酒のせいで千鳥足だった。

イサムはこんな状態で大学に行っていいのかと訊くと、


 「これぐらいが丁度いい」


とミツは笑った。

大きなビルが立ち並ぶ大学構内で、部外者のイサムは肩身の狭い思いでもじもじしていた。

ミツはそんなイサムを笑った。

別れ際、ギターをミツに返してイサムは手を振った。


 「退屈になったら歌えばいい」


ミツは硬い表情でふんと笑う。

それからイサムの前髪を触って、小さな声で言った。


 「イサムのガールフレンドって幸せなんだろうな」


イサムが何も言えずにいると、ミツは1度も振り向かずにビルの中に走って行った。

イサムは目をぎゅっと閉じて深呼吸した。


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