18
閉店したレコード屋の前でイサムはなかなかやって来ないミツを待った。
タッチのことは頭の片隅に追いやられていた。
冷たい風が吹いて、イサムのジャケットがめくれあがる。
ストライプの裏地が気に入って買ったものだった。
風に乗ってワカゾノの香水の匂いが鼻をつく。
イサムはいじけたような気分になって煙草に火を点けた。
何もかも、一からやり直したい。
虚無感に見舞われる。
商店街を行き来する者は少ない。
イサムは肩をぎゅっとすくめて寒さに耐えた。
このところ、イサムはwonderwallばかり聴いている。
聴きたくないはずなのに聴いてしまう。
ちょっと口ずさんで、すぐに恥ずかしくなってやめた。
野良猫が走り去るのを横目で追う。
鼻から大きく息を吸う。
冷たい空気が気持ちいい。
「やだ、待たせちゃった?」
ミツがあはは、と笑いながらやって来たとき、イサムの手は寒さでがたがたと震えていた。
膝上ほど丈のある大きなパーカーを着たミツの背中にはアコースティックギターが貼り付いている。
「なに、そのギター」
イサムは靴の底で煙草の火を消して道路に捨てる。
ミツはイサムが顔を挙げるまで何も答えなかった。
イサムの目を物珍しそうにじっくり観察しながらミツは答えた。
「もらったの」
「ふむ」
イサムが歩き始めるとミツも小走りについてくる。
人通りの少ない道をひた歩く。
星のない空を見る。
イサムは何も思わない。
突然、ミツがイサムの背中をばんと叩いた。
「なんだよ」
「どこ行こうとしてるの」
イサムはミツの肩から丸裸のアコースティックギターをとって自分の肩に担ぐ。
ボディーに小さな傷がたくさんついている。
かなり年季の入った代物だが、安そうなギターだった。
イサムはこのギターの音を想像する。
チューニングがぴったりと合っていても、どこかズレたような音を出すに違いない。
ミツにされたようにイサムはミツの背中を思い切りたたく。
「ジュークボックスだろ?」
にやりと笑ってミツは背中をさする。
電信柱にいちいち手を添えながら歩くミツのペースに合わせてイサムは歩調を弱めた。
「歌おうよ!」
ミツは鼻をすすって手拍子しながら大声でイギー・ポップを歌い始めた。
イサムは星のない空をまた見上げる。
やがて一緒にイギー・ポップを歌い出す。
煙草に火を点けるために立ち止まる。
ミツはイサムなどいないかのように歌い続ける。
イサムはふと思う。
ミツと一緒に馬鹿なことをやって楽しんでいる自分に驚きを隠せない。
かつての自分はどこに行ったのか。
大きなパーカーから出るミツの細い脚を眺める。
楽しいならいいじゃないか。
イサムは少し走ってミツに追いつく。
風が吹いて煙草の煙がミツの顔にかかる。
「ごめん」
ミツはううん、と言ってイサムの指から煙草を取りゆったりと吸った。
二人はそのまま大して言葉を交わすことなく、つい最近廃校になった小学校まで歩いた。
「グラウンド。ここで歌おう!ギター弾いてよ」
イサムは頷いて煙草を捨てようとした。
さっきミツが吸ったせいで濃いリップの色が付着している。
ふん、と笑って思い切り捨てた。
「なにがおかしいの」
ミツが両手をポケットに突っ込んで仁王立ちしている。
上着の裾からホットパンツが見え隠れしている。
華奢なミツの身体を見ていると、イサムは何故だか淋しいようなやるせないような、変な気持ちになって首を振りながら答えた。
「あんた。と、俺」