12
4つの倉庫が立ち並ぶその空間は町から疎外されたようにひっそりとしていた。
フェンスもしていないし周りとの境界線は無いに等しいのに、疎まれているかのようにイサムの目に映った。
一面が砂利で埋め尽くされているが、石と石の間から小さな草たちが恥ずかしそうにはみ出している。
煉瓦づくりの倉庫は貫禄があって、ひとつひとつは小さいが迫力を放っていた。
表面にはスプレーで書かれた落書きが無数に浮かんでいる。
扉には巨大な錠がかけてあり、触った者に強烈な臭いと痛みを与えるのに十分すぎるほど錆びている。
ずっしりとした重厚感はイサムを圧倒した。
あんぐり口を開けて倉庫の前に立ちすくむイサムにワカゾノが声をかけた。
「満足した?」
ワカゾノは不機嫌そうに手で肩の雨水をはらう。
「何言ってんだ、これからだよ」
イサムは倉庫ひとつひとつの扉を開けようとする。
ポスターにはここの住所が記されていたんだ。
何かあっていいはずだ。
錆び切った錠を思い切り握ったせいでイサムは手を痛めた。
「開かねえよ。全部鍵かかってんだよ厳重に」
ワカゾノが声を荒げる。
シルクハットを目深く被って雨をしのぐ。
細かい雨粒は服の奥深くまで入ってきて、二人の身体を芯から冷やしていった。
ワカゾノは倉庫から遠く離れた場所から焦燥感に駆られているイサムの姿に無感動な視線を送る。
「見てねえで手伝え」
「嫌だ。帰りたい」
「たまには俺の我が儘も聞いてくれよ」
「いつあんたに我が儘きけって言ったよ?」
あからさまに馬鹿にするような笑い方でワカゾノが返す。
イサムは最後の倉庫まで行き着き、扉が開かないことを確かめるとがっくりと肩を落としてワカゾノの場所までやってきた。
ワカゾノは腕組みをして暖をとりながらイサムを睨む。
イサムはこのところワカゾノとの仲が滅法悪いな、思い始める。
今までよりもずっと緊張感を伴っている。
ぴんと張りつめた空気が二人の間を泳ぐ。
「ばーか」
ワカゾノは拳でイサムの背中を叩いた。
叩かれたところをさすってイサムはもう一度4つの倉庫を眺める。
ワカゾノが立て続けに3回くしゃみをした。
ここの住所が書かれていたのに。
何かあっていいはずなのに。
「ワカゾノ、お前ちょっと来い」
イサムは、相変わらず寒そうに胸の前で組まれたままのワカゾノの腕を掴んで歩き出した。
ワカゾノは露骨に嫌がった。
買ったばかりのスーツは雨でびしょ濡れ、昔の女にははち合わせるし、そもそも連れて来てやったイサムは何の収穫もないと言う。
ワカゾノは震えながらイサムの手を振り払う。
「どこ行くんだよ、傘を買えよ」
「名案だ」
イサムはコンビニで小学生もはみ出してしまうような小さな傘を買った。
ワカゾノは文句をつけながら、それでもイサムの後をついて行った。
雨あしは強さを増し、車が水たまりを豪快に跳ねてゆく。
イサムは口をきかずに黙々と歩く。
ワカゾノにも見せてやろう、と思う。
自分が必死になっている理由を教えてやる。
嘲笑われてももう構わない。
ワカゾノにもあのポスターを見せるんだ。
雨水がイサムのスニーカーに入り込み、靴下も濡れて気持ち悪い。
でも歩き続けた。
バスは何台も通り過ぎたが、乗りたくなかった。
イサムは少しでもワカゾノに嫌な思いをさせてやりたかった。
イサムは歩きながら、さっき道で会った女の子のことを思い出した。
罪の無さそうな女の子。
ワカゾノにサイフと呼ばれる女の子。
イサムは可哀想に、と思う。
そしてまた自分も同じ立場にあることに気づく。
自分という貯金箱が割られる日はそう遠くないかもしれない、とも思った。
「これ、見てくれ」
埃臭い文房具屋の前までやっとたどり着いた。
二人は歩き疲れたのと雨に濡れたのでボロボロだった。
雨をかぶった文房具屋は辛気くささを磨いているように見える。
でもポスターは健在だ。
相変わらず凄まじいインパクトを放出している。
晴れていようが昼間だろうがこの文房具屋に貼られていようが、美しく輝いている。
なんのことか解らないというようにワカゾノは肩をすくめる。
イサムがポスターの右下を指差すと、ワカゾノは大儀そうに腰を曲げて小さな文字を読んだ。
「あ、この住所」
このポスターを見て、それでどうしても行きたかったとイサムが話すとワカゾノはぽかんとしてイサムを見返した。
「タイプなのか、この女?」
「そういうんじゃない」
小さな傘に二人で入りながらポスターを眺める。
店の中から意地悪そうな顔の老婆がそんな二人を不審な目で気にかけている。
イサムは老婆の目を気にしながらも、自分がいかにこのポスターに感動して、運命的なものを感じるかをワカゾノに話して聞かせた。
ワカゾノは興味なさそうにふんと笑って、イサムのアパートに向かって歩き出した。
イサムは少し立ち止まり、でもワカゾノの後を追った。
「下らねえ」
またくしゃみをしてワカゾノが吐き捨てるように言う。
「わざわざ俺を呼ぶ意味が解んねえ」
前者の言葉も後者の言葉も正しいな、とイサムは考えた。
そこからは何も話さずにアパートまで歩いた。
ただならぬ緊張感はやはり二人にまとわりついて離れない。
イサムは髪の毛を触って水気を飛ばす。
急にポスターに関する全てのことが本当に無意味なことに思えてきた。
ワカゾノの鼻をすする音を聞いて自責感に見舞われる。
部屋に入っても二人はしばらく口を聞かなかった。
イサムがワカゾノにタオルを投げる。
頭からタオルをかぶってワカゾノがイサムに言った。
「あのポスターの女」
「ん?」
「ミツに似てる」