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ポスター  作者: 長迫
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 ミツに関して散々からかわれたイサムは状況を打破するためにワカゾノを誘ってでかけることにした。

貴重な休みの日をワカゾノと過ごしてしまうのは勿体無い気もしたが、それには訳があった。

イサムが繰り返し口に出して覚えていたポスターの住所はワカゾノの実家の近くなのだ。

まったく土地勘のないイサムが一人で出てゆくよりは、情報を持っているであろうワカゾノがいたほうがスムーズに進むと思った。

なにもないかもしれない。

なにも起こらないかもしれない。

それでもいい。

失うものはないし、何が増えても構わない。


イサムがポケットからメモを取り出してワカゾノに住所を読み上げると


 「それならすぐに解る」


と答えた。

ちょうどいいからワカゾノを実家に置いてこようかとイサムは考える。

軽い冗談のつもりだったが、ワカゾノの新しいスーツを目にしたときその考えは信憑性を増した。

仕立てのよさそうなストライプのスーツ。

先月の給料がちっとも見当たらないと思ったたら、スーツに消えていたのか。

イサムはジョン・ライドンよろしく髪をつんつんに逆立てたワカゾノを溜息まじりに見やる。

そのスーツの袖はまだほつれていない。





イサムの目指す町は歩いて40分ほどの場所にあった。

ワカゾノはタクシーを止めようとしたりバス停で立ち止まったりしたが、イサムは無視した。


 「曇り出したじゃねえか。雨嫌いなんだよ」


ワカゾノの言い分はもっともだったが、それでもイサムは断った。

どんよりと曇った空の下を歩きたかった。

ワカゾノと冗談を言い合いながら歩くのは実に久しぶりだった。

イサムが日中寝ていることもあり、生活時間帯がまるで噛み合なかったのも原因だ。

この男はいつまで家に居候するつもりなのだろうとイサムは不安になる。

バンドのために新しい機材を買おうとタッチと約束したのに、イサムの貯金は一定額を保つどころか最近はワカゾノのお陰ですっかり底をついている。

さあ、答えを教えておくれ。

イサムはポスターに問いかける。


平日の町並みは死んだようだった。

不幸せそうなサラリーマン数人とすれ違う他は誰も歩いていない。

日増しに低くなってゆく気温に厚い層から成る灰色の雲は憂鬱を誘うばかりで、ワカゾノはもはやうんざりしていた。

昼間からライトを光らせて走る車を不審な目つきで眺める。

太陽のいない町にその光が虚しく目立った。

急に死んだ祖母のことがイサムの頭をよぎった。

彼女は背こそやや高めだったが、スーパーモデルのように痩せていた。

いくら歳をとってもブランドものの服を着ていたし、無茶なヒールのパンプスを好んだ。

決して弱音を吐かない、気丈な女性だった。

イサムは世間一般の「おばあちゃん」のイメージから遠くかけ離れた自分の祖母と親しくなれなかった。

中産階級の家に生まれた自分と祖母の生活スタイルの差の大きさに辟易したものだった。

週末に祖母の家を訪ねると決まって有名パティシエが作ったという名目の菓子を出された。

キッチンはモデルルームにも劣らないほどのクオリティーだし、上品な薔薇の香りの香水を欠かさない。

凛と前を見据えて生きていた。

住む世界が違うのだ、とイサムは感じた。


イサムの祖母は癌で死んだが、抗癌剤も鎮痛剤も使わなかった。

主治医は奇怪なものを扱うかのようにイサムの祖母と接した。

その病院側の態度が気に入らなかったイサムは、それから毎日見舞いに行った。

病院でも祖母はしっかり化粧をしたし、自分の気に入った部屋着しか着なかった。

身体の衰弱はイサムにも見て取れた。

しかし祖母の顔つきは至って平静で崩れることがない。

イサムの心に改めて祖母の根性が刻み込まれた。


 「人の前で涙を流すのは真の女じゃないのよ」


祖母は見舞いに来たイサムにある日そう言ったことがある。

夫が事故死しても泣かなかった女だ。

イサムはなるほど、と思った。

同時に人の目を盗んで泣いている祖母の姿を思い描いた。

イサムが「俺を人と思わなければいい」と言うと「孫なんて尚更でしょうが」と笑われた。

結局、祖母はモルヒネで死んだ。

最初で最後の鎮痛剤はそれまで薬を服用しなかった祖母の身体に効きすぎるほど効き、あっという間んい死んでいった。

今日の天気のようにどんよりとした曇り空の日に祖母は死んだ。

イサムが12歳のときだった。





イサムはしばらくそんな祖母のことを思い出していたため、ワカゾノの話は片方の耳からもう一方の耳へとすり抜けていっていた。

ワカゾノが被っていたシルクハットをふざけてイサムの頭に乱暴に乗せたところで、イサムはようやく我にかえった。


 「いてえな」


 「喉かわいた」


イサムはしぶしぶワカゾノにコーヒーを買ってやった。

一人で歩いていれば目的の町にさしかかっていい頃なのに、まだ半分にも至っていない。


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