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埃とカビの臭いが、懐かしい。
イサムは古びた文房具屋の前をのらりくらりと歩く。
うんと昔のことを思い出している。
小学校に通っていたころのことを思い出している。
まだ7歳やそこらの時、イサムはこの店と同じ臭いのする
商店でよく飴玉やら消しゴムやらを万引きしていた。
ちょうど、そのことを思い出していた。
あの商店の婆さんは床に顎が届きそうなほど
曲がった腰をしていて、
文句有り気な顔を突き出し、
そろばんをはじいていた。
耳が遠くて、ちょっとやそっとの声では
反応してくれない。
片方の目は義眼だった。
生き残った目も大して見えてはいなかった。
つまり、万引きにはもってこいの店だったのだ。
イサムはそれこそ小学生の子どもが
いじけたような顔をして文房具屋の前に棒立ちになった。
自分はどうしてあの商店で万引きなどしでかしたのか。
金に困っていたわけでもなければ
スリルを楽しむでもない。
なんだか突発的にやっていた。
万引きは2、3度繰り返したところで、
馬鹿馬鹿しくなってやめた。
イサムは罪の意識をこれっぽっちも感じなかった
かつての自分に、違和感を覚えた。
その商店と同じ臭いがする。
それで足が止まってしまった。
懐かしい臭い。
ところでイサムがこの文房具屋から離れられないのには
まだ理由があった。
この寂びれ切った店のガラスには
一枚のポスターが貼ってある。
女のトップレス写真。
彼女の写真の他には、何の宣伝の文字もなく
ただ小さくどこかの住所が書いてあるだけの
殺風景なポスターだ。
トップレスの写真なんか、ファッション雑誌だとか
CDジャケットなんかで見慣れたもんだった。
でも、イサムはこの写真に何故だか惹かれてしまった。
女はやわらかにカールした髪の毛と
ほっそりとした二の腕で胸を隠し、
無感動な表情でカメラのレンズを睨んでいる。
大して美人ではないが、そこはかと無く迫力を感じる。
シンプルなデニムを一枚履いている以外は
何も身に纏っていない。
このポスターから目を外すことができない。
イサムはポスターの右下に、見落としてしまいそうなほど
小さく表記された住所をぶつぶつと呟いて
覚えようと試みる。
成功するかどうかは解らない。
イサムはアパートにたどり着くまで
ずっとその住所を繰り返し口に出していた。
朝日がようやく登り始めたころのことだ。