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言葉足らずな妹の言葉にいくつかの付け足しをしなければならない。学校の外観や名前、場所は自分達は知っているけれどそこへ辿り着く道、術を僕たちは知らなかったのだ。地図を片手にぶっつけ本番で登校、というのも得体のしれない緊張感があってそれはそれで乙なものなのかもしれないが、特に今日一日どう行動することで時間を潰そうかと考えていた身からすれば思ってもいない暇つぶしができた。確かにここ最近はバタバタとしてあまり妹ともゆっくりできていなかったし、散歩がてら登下校の道を確認しておくのはいいかもしれない。寝間着から外出しても差し支えない格好に着替えてから、二人で地図と目の前に広がる見慣れない風景を視線で行ったり来たりしながら歩みを進める。あまり地図の見方に慣れていなかった僕らは、まず自分達の家が地図上のどこにあるのかから把握しなければならなかった。学校で地図の見方をどれくらい時間をかけて教えてくれたか、記憶は定かでは無いけど覚えていないということはそれほど長時間やった訳ではないのかもしれない。つくづく学校という施設は実生活で役に立たないことばかりを教える場所だな、と感じたけどそもそも実生活のノウハウを教えるために作られた施設ではないから仕方がないのか、と思った。自分達の生活における実践の時間が減っただけなのかもしれない。ただ、強制的に義務として行かなければならない学校によってその実践の時間が削られていると考えるのであれば、やはり、学校は実生活には役立たないなと感じる。結局どこに責任をなすりつけるのかによって結論は変わってしまうのかもしれない。
何とかして自宅近辺の建物を地図上から見つけ出すと、ゆっくりと周りの景色を見るだけの余裕が生まれる。前回迷い込んだものとは異なり、人の手が入っている道は歩きやすく景観も整っていてるためか歩いていて心地が良い。自宅から学校への距離は、地図を見る限りでは歩いて通学というには遠すぎるような距離感だと思ったけど、時々歩いてみるのもいいかもしれない。朝早いためか人通りが少ないのも自分の中では好印象だ。
「道、思ったより覚えるの簡単そうだな」
「そだね。田舎って聞いてたから、もっと木ボーボーの道荒れまくりだと思ってたけど」
「田舎への偏見強すぎないか?」
「そんなもんでしょ、皆の中でのイメージなんて。周りの目を気にして口にだしてないだけでさ」
「そんなもんなのか…?」
自分が知らないだけで、そんなに田舎って人権(土地権か?)がないのだろうか?確かに、以前住んでいた場所の方が交通の便や店の充実具合では勝るとは思うけど、それに劣らないだけの魅力がこの街にはありそうなものだが
「…なるほどね。ほんとにきれいっていうか、整ってるって感じだね。人工ですって全面に押し出してる雰囲気、嫌いじゃないかも」
「まあ、的を射てる表現だけど…お前、その斜に構える態度他の人にやったら嫌われるぞ?」
「大丈夫。お兄ちゃんの前だけだから」
何の躊躇もなく自分に放たれた感情にすぐさま反応できず、一呼吸はさんでしまう。こういうときに、こんな風に真っ直ぐに、何一つ無駄なものを混ぜ込むことをせずに相手に思いを伝えられる妹を羨ましく思う。こんなことを本人には絶対に言わないけど。…いや、自分には言えないのかもしれない。かのような心の綺麗さは、年を重ねることを言い訳にしてとうの昔に失った気がする。
かように頭に浮かんだ言葉を校正せずに発する、親しいからこその会話を続けているうちにも目的地は近づいてくる。特に迷ってしまうような道のりではなかったし、これなら安心して登校できるだろう。
「街灯も多いから夜遅くても安心だしな」
「心配しすぎだよー、いざとなったら返り討ちにしてやるし」
「いや、お前の心配じゃなくて俺がだな…」
「なっ…!それどういうこと?」
「もし万が一妹に手出す奴がいたらそいつを手にかけなければいけなく」
「あー、はいはい。わかったわかった」
「ま、冗談だけどな」
軽く三歩くらい仰け反った妹を見て咄嗟に弁解する。い、イヤダナー、ジョウダンニキマッテルジャナイデスカ…
「冗談じゃなかったら軽くひくんだけど…」
「手にかけはしない。そいつの住所調べてそこに毎日脅しの手紙を送るだけ」
「そこ!?しかも地味に怖いし…お兄ちゃんそんなことする人だったんだー。大丈夫?友達いる?」
「大丈夫。…なはず」
「今度私の友達紹介してあげよっか…?」
「そこまで深刻じゃないから。というか何、お前の友達なんて紹介されてもどうすればいいのん?同級生ならともかく年下の異性となんて上手く喋れる気がしないけど」
「木だけにね。大丈夫、心配ご無用だよお兄ちゃん!しっかり同性の友達紹介するから」
「いや、全然上手くないどころか意味分からんし人の話を最後まで…ってお前男友達いるんか!?」
「いや、異性の友達の一人や二人いるでしょ。」
「誰だそれ。今すぐ俺に紹介しろ」
「急にやる気になった!?どっしりと構えて動く気配のなかったあのお兄ちゃんが…」
「木だけにな…ってやかましいわ!」
そんなくだらない会話をしているうちに古びた校舎が徐々に視覚へと入ってくる。もう築何年ものなのだろう、壁にはいくつものひび割れが入っているし、色も薄ぼけている。それでも人の居る気配というか、感覚があるのは建造物の周りを彩る緑のおかげだろうか。無造作に生え散らかしているわけではない、しっかりと手入れのされている自然の裏側には確かに人の気配を感じ取ることができる。馴染みやすそうな場所だな…改めて校舎の全容をぐるりと見渡してから、漠然とそう感じた。新たに風景に加わるものを排斥せずに包み込んでくれる、そんなまるで昔から知っていたかのような景色を眼前に僕たちは見入ってしまう。ほら、あそこにいる女の子すらも一度出会ったことがあるから不思議でならない…
「また会っちゃったね」
そうこちらに苦笑いをしながら告げる彼女の頬には、僅かに涙の流れた跡が残っていた。