第9話
黒い巻き毛、灰色の目。
無難な顔立ちと無難な色合いが相まって、どことなく地味な印象を受ける。
加えて、洗練され美しいが、どこか怯えた様子の隠しきれない振る舞い。
さらにさらに、父が分家の当主という、なんとも半端な立場がマーユ・オリヴェル=シェルマンの評価を微妙なものにしていた。
――しかし、それらを差し引いてもお釣りが返ってくる、と言われるほどの知識が、わたし――マーユにはあった。
その知識は、幼い頃から貪欲に学び、手に入れたもの。
驕るわけではないが、自信はある。
――――――
だけど……
学ぶことが楽しく、褒めてもらうことが嬉しくて身につけたものを、いつでも全力で発揮するのは得策ではなかった。
心優しく気品あふれる、至上の淑女。
そういわれる王妃殿下が わたしを疎むようになったのは、いつからだろう。
最初はとても悲しかったが、やがて気づいた。……彼女は、自分より優れた人間が嫌いだったのだ。
もちろん、誰だってそういう気持ちはあると思う。わたしも含めて。
しかし、彼女のそれは、他人の比ではなかった。
わたしは殿下を恐れ、そしていつしか失望した。この人は、王妃に向いていないと気づいたから。
努力をやめ、自分より優れた人間を排除し、心地よい言葉を使う人間だけを重用する。
世界の歴史を辿るまでもない――それは暗君のすることだ。
気づけば、王妃殿下はもちろん、国王陛下や伯父様にも不信感を抱き始めていた。
わたしは、素直で臆病な令嬢のように振る舞うことにした。その方が、楽だから。
……そして、浮上した疑問。それは、誰もが知る、有名すぎるほどの恋愛譚――国王陛下と王妃殿下の恋物語の、ある登場人物について。
優れた容姿や知識を持ちながら、嫉妬に狂った醜い令嬢――アウロラ。
彼女は、本当に狡猾な人間だったのか。もしかして、彼女は排除されてしまっただけではないか。
そうだとしたら、なんて哀れ。
明日は我が身……とつぶやきながら、わたしは1人の令嬢の存在を思い出す。
確か、彼女の名は……イェシカ。
――――――
「ねえ、わたしたち、お友達にならない?」
ずっと気になっていた彼女を前にし、わたしはついつい素の自分を見せてしまう。
『臆病で、無害で、地味な令嬢』
わたしにとって、それは仮面でしかなかった。
「……まあ。未来の王妃のあなたと、わたくしが?」
そして、彼女は、予想以上に美しかった。
怜悧な美貌を持った、煌めくような令嬢だ。
満天の星空を映したような、深い色の髪が素敵――と、どこか冷静に彼女を見つめた。
表情にわずかな戸惑いの色を乗せ、しかし余裕めいた仕草で、彼女は首をかしげた。
王妃、という単語を強調し、暗に殿下に名乗りを許されなかったことを自ら皮肉る。
「……ねえ、イェシカ。ここに王宮の護衛がいないことに、気づいてる?」
警戒されても仕方ないか、と内心落胆してしまった。
わたしは、どうしても彼女が気になって仕方ないのだ。
だから、話題を変える。
「最初にいた護衛は、殿下が全て連れていったわ。もちろん、わたしの護衛はいるけれど……ね、おかしいでしょ?」
くすりと笑うと、彼女は狼狽えるように、ほんの少し視線を下げた。
「まさか……」
殿下は、気に入らない人間のための護衛を置くような人物ではない……ということを、きっとイェシカは知っている。だからこその、この反応。
「イェシカ、あなたなら分かるでしょ?……殿下が、自分より秀でた人間を――あなたのお母様のような人間を、どうするか」
イェシカと殿下のやりとりで、わたしの中で燻っていた疑問は答えを得た。
それを利用するのは、もしかしたらとっても卑怯なのかもしれないけど……
「もちろん、よく知っていますわ」
ほろ苦い、そして憎しみの透ける微笑を浮かべて、彼女はわたしと目を合わせた。
金色の綺麗な目に、わたしが映っている。
「……わたしは、あなたのお母様のことを信じているわ――それほどまでに、殿下は信じられない……」
彼女の澄んだ瞳を見るのが恥ずかしくて、わたしはそっと目を閉じた。
「でも、みんな殿下を信じてる……だから、あなたに目をつけたの。あなたなら、きっとわたしの望む『殿下の敵』になってくれると思って」
ゆっくり目を開くと、彼女はまだわたしを見つめていた。
わたしの話を聞いて驚いていたのだろう。目を見開いて、唇をわずかに震わせている。
……嫌われたかもしれない。
身勝手にも悲しくなってしまって、ぎゅっとまた目をつぶろうとすると。
「……あなたは、わたくしの望む『あの女の敵』になってくださいますの?」
鋭く、美しい笑顔が、きらめいた。
「もしくは、『ビルギッタの敵』でも構いませんわ」
星のように輝く金の瞳を細め、イェシカはわたしに笑いかけた。……笑いかけて、くれたのだ。
「……あの、やっぱり、先程のは撤回させて。――ただの『お友達』では、だめ?」
その笑顔の美しさに目を奪われつつ、気づけばそんな言葉がこぼれた。
「まあ……わたくしで、よろしいんですの?」
「ええ、わたしはあなたがいいの」
まるで恋人に贈るような言葉を、わたしは真剣に彼女に向けた。
狼狽える彼女の様子に、わたしの心臓が、ばくばくと大きく打つ。エドヴァルド様との初対面だって、こんなに緊張しなかったのに。
「……わかりましたわ。――よろしくね、マーユ」
先程の鋭い笑みもよかったが……はにかんだ彼女も可愛くて。
「…………わたしにも、未知への扉ってあったのね」
思わず、わたしは天を仰ぐのだった。