第8話
そして、1ヶ月後。
「大丈夫かしら」
「はい。お嬢様の振る舞いに文句をつけられるようなことがございましたら、それは間違いなく言いがかりでございましょう」
いくら憎くても、王妃は王妃。いえ、憎ければこそ……かしら?
負けん気を発揮した私は、イサベレにマナーをみっちり復習してもらった。
「そうよね……ありがとう」
これでも、小さい頃からお母様やイサベレに色々と叩き込まれている。
万が一にも、あの女に劣るようなことがあってはならないのだ。
「恐れ入ります。……はい、これでよろしゅうございます」
イサベレの言葉に、私にドレスを着せていたメイドたちがさっと離れる。
促されて鏡の前に立てば、
「……あら、すごいわ」
私の髪色を薄めたような、淡い青を基調としたドレスは、確かに私に似合っている。お父様が、以前から懇意のデザイナーに作らせていたものらしい。
首元や袖のレースも繊細で美しい。
「たいへんお美しゅうございますよ」
「そうかしら?みんなのおかげね」
イサベレは、いつも通り淡々とした口調だ。
それでも本気で言っているのが伝わってきて、私は彼女たちに微笑んだ。
――――――
ドレスと靴に気をつけて、本邸まで向かい、そのまま馬車に乗り込んだ。
「お父様、私、すごく楽しみです!」
「よかった。そのドレスも似合っていて、とても可愛いよ、ビルギッタ」
私の向かいに、お父様とビルギッタが並んで座る。
ビルギッタは、チェリーピンクに花柄のドレスを纏っている。可愛らしいが、若干ゴテゴテしたドレスだ。
「もしかして、エドヴァルド様に会えたりしたら、どうしましょう……っ」
「殿下は、私もあまりお会いしたことがないからね……聡明な方だそうだよ」
私の存在を無視して続く会話を聞きながら、頭の中でマナーをおさらいする。
……実は、これが初めてのお出かけだったのよね。ちょっと残念だわ。
――――――
慣れない馬車の揺れに戸惑いつつ、気づけば王宮に到着していた。
「わあっ、素敵ですね、お父様っ!」
輝く白い石でできた壮麗な宮殿が、眼前にそびえている。
ビルギッタの歓声にも、つい同意してしまいそうだ。
細工を凝らした門の前では、案内の騎士が待っていた。
「申し訳ありません、侯爵閣下。ご息女のみをご案内するように仰せつかっておりますので……」
「ああ、構わない。娘を頼んだぞ」
「はい、しかとうけたまわりました」
いってらっしゃい、と優しくビルギッタに微笑みかけたあと、お父様は踵を返す。
『……くれぐれも気をつけて、イェシカ』
すれ違う直前、険しい表情のお父様と目が合って……かすかな声が聞こえた。
――――――
しばらく王宮の中を進んで。
「殿下。イェシカ・フォーゲルストレーム様、ビルギッタ・フォーゲルストレーム様をお連れいたしました」
案内された先は、庭園だった。
導かれたテーブルには、2人の人物。
女、そして私たちと同年代であろう令嬢が、騎士の声にこちらを向く。
令嬢の存在に戸惑うが、私は反射的に最上の礼をとった。さすがのビルギッタも、私の前でやや不恰好な礼をとる。
「顔をお上げなさい」
威厳があるのか、それとも尊大なのか――初めて聞いたその声に、私の心は拒絶反応を示した。
しかし、ゆっくりと顔を上げて、微笑む女の顔を見る。
「わたくしが、パニーラ・ユーン=リドマンですわ。ようこそ、王宮へ」
焦げ茶の髪に、蜜柑色の瞳の女と、目が合った。……ああ、穢らわしい!
「本日はお招きいただき、望外の幸せにございます。殿下」
荒れる心を隠して……マナーにのっとり、やや俯きがちに口上を述べた。
ところが、パニーラは私の言葉に何の反応も示さず、ビルギッタに蜜柑色の瞳を向けた。
「まあ、あなたが侯爵の2番目のお嬢様ね。侯爵に似て、大変美しい髪だこと……あなた、お名前は何というの?」
『侯爵に似て』――ね。
全て知っているくせに白々しい、と胸の中に何かが燻る。
今すぐに耳をふさぎたくて、逃げるようにビルギッタに視線を移した。
すると彼女は、あろうことか立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「初めまして、王妃様。ビルギッタ・フォーゲルストレームです!」
これにはさすがに私も度肝を抜かれ……て、ないわね。まあ、ぎりぎり予想の範疇、といったところかしら?
ともかくも。
そんなビルギッタの行動のおかげで冷静さを取り戻し、私は裾をつまむ指の力を抜いた。
……お父様に選んでいただいたドレスだもの、大切に扱わなくてはね。
「……ああ、あなた」
ひとしきりビルギッタを褒めたあと、パニーラはつまらなそうに私を呼んだ。
「はい、殿下」
感情のない目……いいえ、憎悪に濁った、淀みきった目が、私の髪を見つめているのが分かった。
お母様と同じ色のこの髪を見て、きっと思い出しているのだろう。
「母親と同じ色ね」
ざらり、と、能うかぎりの負の感情を詰め込んだような声に、耳を削られたような心地になる。
……だけど、それは一瞬で。
「はい、殿下。この髪は、わたくしの母、アウロラと同じ色にございます」
――だめじゃない。王妃ともあろう者が、醜い感情を丸出しにして――
気づけば、私は笑っていた。
声はきっと朗らかだろうし、伏せた瞳がきらめいているのも自分で分かる。
そう、負けるわけにはいかないのよ。
こんなところで、怯えている場合じゃない。
「…………立ちなさい」
震えた声が、耳に届く。
私はゆっくりと立ち上がり、またお辞儀をして……そして微笑む。
ちゃんと、お母様が微笑んでいるように見えているかしら?
……ヒッ、とかすかな息の音がした。
「…………もう、いいわ。席に」
「はい。ありがとうございます、殿下」
私たちがテーブルにつくと、パニーラはふと思い出したようにビルギッタを見つめる。
「ああ、忘れていたわ。ビルギッタ、あなたに聞きたいことがあるの」
「私、ですか……?」
「ええ。あなた、確か、エドヴァルドに助けられたのでしょう?」
エドヴァルド、と言いながら、パニーラは意味ありげに令嬢の方を見た。
……そうよ、この ご令嬢は、いったいどなたなの?
「一応、お忍びで出かけたときのことだから……確認をとらせてほしいの。ついて来てくれるかしら?」
「あ、はい……っ!」
立ち上がったパニーラについて、ビルギッタもガタガタと立つ。礼儀知らずもここまで来ると、何だか……。
「……ああ、そうね、マーユ。こちらのご令嬢と仲良くね。あなたならできるでしょう?」
「…………はっ、はい、王妃殿下」
ちらっと目線を移すと、彼女と目が合った。
「……初めまして。マーユ・オリヴェル=シェルマンと申します」
どこか怯えたように、それでもしっかりと彼女は微笑みを浮かべた。
……そうよね、だって、私は社交界でも知らない者はない、『悪辣極まる醜い女』の娘だものね。
しかも、王妃に名を名乗ることを許されなかったもの。
「ええ、初めまして。わたくしは、イェシカ・フォーゲルストレームと申します」
予想外の出会いに距離をはかりかね、ぎこちなく微笑した。
そんな私を、マーユ様は灰色の瞳でじっと見つめてくる。
今にも泣き出しそうで、それが何だか可愛らしい。
「…………ねえ、お隣よろしい?」
どうしてかしら、きちんと交流してくれる気らしい。
うなずくと、彼女はそっと私の隣に移動してきた。
目の前に可愛らしいマーユ様の顔が迫って、私の緊張はピークを迎えてしまう。……だって、同世代の令嬢なんて初めて会うんだもの。
「……あの、イェシカって呼んでもいい?」
「…………えっ?」
「……わたし、感心したわ。殿下相手に、やるじゃない」
そして、怯えた小動物のようだった少女は――妖艶に囁いた。
「ねえ、わたしたち、お友達にならない?」