第5話
私の名前は、ビルギッタ・フォーゲルストレーム。
その前は、ただのビルギッタ。
そして、その前は……
――――――
――『ツキプリ』のヒロインに転生してる!
そう気がついたのは、4歳のとき。
病気になっちゃって寝込んでいた私に、薬を買ってきた母さんがこう言ったの。
『母さんね、スリに遭っちゃったんだけどさ、綺麗な男の子が助けてくれたの。あれはきっとお忍びの貴族の子だよ』
寝かしつけの物語みたいなその話を聞いていたら、熱にうかされた頭の中に、ぼんやりと……かつて何周もした『乙女ゲーム』の物語が浮かんできた。
無意識のうちに、母さんに尋ねる。
『どんな子なの……?』
『黒い髪で、深い青の綺麗な目をした子だったよ』
ああ、やっぱり、『攻略対象』だ。
そして、これはきっかけのイベント。
この国の王太子、私の最推し――エドヴァルド様ルートの始まりなんだ……
――――
それで、そのまま私は眠ってしまったんだけど……目覚めたときには、日本人だったときのことも思い出していた。
――――
洋画の吹き替えをしていたある声優に惚れ込んだ私は、最終的にスマホアプリの乙女ゲーム――『月の光のプリンセス』にたどり着いた。
エドヴァルド様は、その声優が担当していたキャラクターだった。
友達や家族には隠してたけど、それが毎日の癒し。
大学生になったらバイト始めて課金しよう――って決めていたけど、私は大学生にはなれなかった。
高2の夏休みのある日。記録的な暑さが予想されていたその日、私は留守番をしていた。
エアコンも扇風機もつけず、ツキプリのイベントに興じていたら、意識を失い……そこから先は覚えていない。
多分、熱中症になったんだと思う。
――――
我ながら、結構ドジだったと思うよ。
日本での人生に悔いがないわけじゃないし。
でも、今の私はヒロイン!
記憶を思い出した私は、絶対にエドヴァルド様を攻略して、結婚するんだって決めた。
今の私は、ストーリー通りに隣国の王子だった侯爵に引き取られて、悪役令嬢の義妹。
これはもう勝ちゲーね、って思ってたんだけど……
あの悪役令嬢だけが、少しおかしい。
ゲームでは、イェシカは小さい頃にエドヴァルド様の婚約者になっているはず。
自分に見向きもしてくれなかった侯爵の子供と知って、ヒロインを手酷くいじめる役どころだよね?
なのに、全然いじめてこないし、エドヴァルド様の婚約者でもないみたい。
確かに嫌味は言われるけど……いじめっていうよりは、態度がキツいだけ。
もう……これじゃストーリー通りにいかないじゃん!
でも、そう思って、お父様に『イェシカ姉様にいじめられているんです!』って言ってみたら、簡単に信じてくれちゃった。
ドレスや宝石もたくさん買ってくれるし、母さんも私も、立派な侯爵夫人と侯爵令嬢って感じに見える。
あの悪役令嬢は全然買ってもらえてないみたいだけど……その辺りはストーリー通りだね。
やっぱり、なんだっけ……強制力、とかがあるのかな?
そうだとしたら、ここはやっぱり私のための世界ってことでいいのかな、なんて。
ヒロインに生まれたからには、絶対エドヴァルド様との甘々ライフを掴んでみせる。
――――
さて、エドヴァルド様に婚約者がいるか、そろそろお父様に聞いてみないと。
何て聞いたら自然かなあ……婚約者がいたらどうしよっか。
そんなことを考えながら、お父様の部屋に向かう。
「ふんふんふーん……って、わっ!」
鼻歌を歌いながら歩いていると、目の前にイェシカがいた。
慌てて礼をして、目的地を庭に変更する。
何かつぶやいているのが聞こえたけど、しーらない。
――――
花壇の花を摘んで、頃合いを見てお父様の部屋に向かった。
ちょっと待たされたけど、それ以上に、部屋からイェシカが出てきたことにびっくりした。
何か怒鳴ってたし……やっぱり悪役令嬢、性格が悪いんだろうな。お父様とは仲も悪いみたいだし。
「イェシカ姉様と喧嘩ですか……? 私のせいなんでしょうか……」
可愛らしくそう言ってみたら、お父様は、
「ビルギッタ。君が心配することは何もない。イェシカは今日のうちに離れに行かせるから、安心しなさい」
と私の頭を撫でてくれたし、笑顔で花も受け取ってくれた。前世では恥ずかしくて、とてもじゃないけど試せなかったあざとい態度も、ヒロインだという自信のおかげか、むしろどんどんしてみたくなる。
「さあ、何の用かな、ビルギッタ」
部屋に入れてもらって、扉のすぐ近くのソファに座った。
私は、花を摘みながら考えた言葉を、慎重に声に出していく。
「お父様、私、小さな頃に貴族の男の子に助けてもらったんです。その子にお礼が言いたくて……お父様なら知ってるかなって」
不思議そうな顔をしたお父様に、4歳のときのことを説明する。
「黒い髪で、目は青の、私と歳の近い男の子なんです」
黙って聞いていたお父様の表情が、男の子の特徴の話で一気に変わった。
「黒髪に碧眼……この国の貴族で、その色なのは、国王陛下と王太子殿下だけだ……。ビルギッタ、それは本当なのか?」
あまりの剣幕に、私は思わず仰け反った。
「は、はい……っ。正確には、お母様が助けてもらったんですけど……!」
「……なるほど。わかったよ。王太子殿下は簡単にお会いできるお方ではないが、オーセから話を聞き、必要なら私からお礼の手紙を出そう」
「わ、私が直接お礼を言うことはできませんか……?」
お父様は、困ったように顎を撫でた。
よし、もうひと押し。いや、ここは引いてみた方がいいのかな?
「もちろん、無理にとは言いませんけど……」
上目遣いで、そっとお父様を伺うと、
「……僕の可愛いビルギッタの願いなら、最善を尽くすよ。けど、あまり期待はしないでね?」
「ありがとうございます、お父様っ」
お父様の腕を取って、ぎゅうっと抱きつけば、
「いいんだよ、可愛いビルギッタ」
一段甘くなった声が降ってくる。
実の娘相手に、ドキッてしちゃった……? でも、「ビルギッタ」くらいの美少女だったら、確かに仕方ないよね。
さあ、エドヴァルド様と私のために、せいぜい踏み台になってもらうんだから。