第32話
「ビルギッタ」
随分と背の伸びた義妹を見下ろしながら、わたくしは低い声でその名前を呼ぶ。
「あなた、生徒会役員に選ばれたからといって、少し調子に乗っているのではなくって?」
口元だけで微笑みつつ、頬に手を添えながらそう言えば、夕時の湿った風が木々を、そして私たちの髪を揺らす。正門近くの庭園にある四阿は、桜の盛りが終わると人もなく……まさに、こんな時にはおあつらえ向きの場所ね。
「調子に乗っているって……」
「あら、自覚がないの? 王太子殿下にマーユ様という婚約者がいらっしゃるなんて、周知の事実。それなのにあなたは、彼女が寛大なのをいいことに、廊下や食堂、カフェテリアでも図書館でも、随分と気安く殿下とお話しているじゃないの。それが調子に乗っていないのだとしたら、いったい何なのか、わたくしにも教えてくださる?」
一歩前に踏み出すと、ビルギッタが一歩下がる。こちらをまっすぐ見つめる翡翠のごときその目は、時折揺れつつも、存外、怯えた様子はない。……この子、根拠のよくわからない胆力というか、自分の身に危険が起こるはずはないという自信があるように感じるのよね。
普通、そうでもなかったら、夕食の迫るような時間に人気のない場所に呼び出されて、ほいほいやってくる方が馬鹿げているもの。いえ、あるいは……?
「それは、生徒会のお話をしているだけです、やましい内容なわけなんてあるはずないじゃないですか! エド様には、学園に入る前からお友達として仲良くしていただいているだけですし……その、フォーゲルストレーム家と王家の和解って意味もあるって、選挙の時も」
「言い訳は結構。そもそも、わたくしにとっては、なぜ後妻の娘であるあなたがフォーゲルストレーム家を代表する立場として扱われているのか、そこからが甚だ疑問ですわ。あなたとオーセに骨抜きのお父様は別としても、以前からあなたは殿下に馴れ馴れしい態度をとると思っていましたけれど、無教養だからというわけではなかったのかしらね。てっきり、殿下の社交辞令を真に受けているお馬鹿さんなのだと思っていたわ」
微笑みながら言い募る。ビルギッタは、生ぬるい風に眩い髪を靡かせながら、胸の前で祈るように手を組んだ。私を見上げて、彼女が薄っぺらい言葉を返そうと口を開くと同時に、わたくしの背後から足音が聞こえてきた。
そして、喜色を浮かべる義妹の口からは、わたくしへの言葉ではなく、駆けてきた人物を呼ぶ声が零れる……。
「ビルギッタ、大丈夫かい!」
自分で始めたこととはいえ、これを何度もやらなくてはいけないなんて、骨が折れる。思わずため息が漏れた。
――――
「ねえ、ちょっとよろしいかしら」
当初の宣言通り、ビルギッタの友人という枠に収まったフランカは、普通の友人同士がそうするように、彼女と一緒にカフェテリアに行ったり、教室移動をしたりしている。やはりというべきか、あれでなかなかビルギッタは博識なところがあるようで、フランカとしては、それなりに楽しく付き合っているようだ。
さあ、今日も今日とて、聞いていた位置でちょうどフランカがビルギッタを1人にするのを発見し、近づこうとしたとき……
「……何ですの?」
廊下を通り過ぎようとしていた女子生徒が、目の前で急に立ち止まった。かなり小柄なご令嬢で、私を見上げる目は、少し不機嫌そうだ。
目線だけで壁際に寄るよう示されて、混乱した私は素直に従う。
「妹さんのこと。今も狙っていたと思いますけれど」
小声での問いに、頷きで返す。ただ、こちらも意識して目線は鋭く、邪魔されたと言わんばかりの表情を心掛けている。しかし、その後の言葉に虚を突かれた。
「初めてお目にかかりますわ。わたくしはヴィヴィ・ハルツバリと申します。1年生の身で恐縮ですが、バルタサールの婚約者といえば、伝わりますね?」
「ええ……もちろん。ハルツバリ家といえば、養蜂の」
まあ、光栄ですわ、と彼女は儀礼的に微笑んだ。
「義妹は、ヴェステルグレーン様には興味はないと思いますけれど」
「それは知っていますわ。聞きたいのは、マーユ様がなぜ静観しておられるのか、です。貴女が、マーユ様の指示で動いているのか。それとも、マーユ様は内心であの2人のことをお認めになっているのか。そこが知りたいのです」
「……それを聞いて、あなたに何の得があるの?」
目を細めれば、彼女はにこっと笑った。厄介な令嬢が増えたわね……。
「もちろん、マーユ様があの2人の仲をお認めになっているのであれば、バルタサールも、もちろんわたくしも、王太子殿下の側近とその婚約者として、あるいは正義を愛するランネージス貴族の1人として、王家とフォーゲルストレーム家の確執を乗り越えんとするおふたりを応援させていただく。そして、それに私欲から反対する貴女は、然るべき報いを受ける……それ以外、何かありまして?」
自信たっぷりの彼女の微笑みは、それが生徒の中でも多数派の意見になりつつあると実感するのに、十分すぎるほどの材料だった。
……そして、そのことをマーユとエヴェリーナに報告した反応といえば、
「――ああ、彼女ね。わたしも何回か顔を合わせたことがあるけど、ちょっとね……。まあ、バルタサール・ヴェステルグレーンが硬派な人間だから、そういう意味では、あれくらいの子が合っているのではない?」
「わたくしもそう思うわ。ヴェステルグレーンくんを振り回しているように見えて、本人にそうと気づかせず、うまく操縦している感じがするもの。それにしても、もうそこまで話が広がっているだなんて、なんだか楽しくなってきちゃうわね」
と、こんな感じで、わたくしに制裁……だったかしら? と大見得を切ったあのお嬢さんのことは、歯牙にもかけないご様子だった。
「生徒会室でもね、側近たちはエドヴァルド様とビルギッタさんの仲に好意的なのがまるわかりだったから……。側近だけならまだしも、婚約者側もそれに同調だか誘導だか、とにかくその方面で一致しているなら、今後も動きやすそうね」
「そうね。これからは、ビルギッタに直接突っ込みに行くのも減らそうかしら。この調子だと、何もしなくても噂は広まりそうだし……」
「それでもいいかもしれないわ。殿下の側近の婚約者とはいえ、子爵令嬢である彼女が、先輩であり侯爵令嬢であるイェシカに、そのような態度をとるくらいなら……。イェシカの安全のためにも、あまり他学年と共通のフロアに出るのは避けた方がいいかもしれないと思うわ」
エヴェリーナの言葉に、マーユもうんうんと頷く。それを見ながら、エリンとシェスティン、そしてフランカにも方針変更を伝えなければ……と、心の中に書き留めておくのだった。




