第26話
学園は夏休みを迎え、イェシカも家に帰ってきた。
あの2回目の出会いイベント以降、彼女が本邸にやってくることは、ほとんどなかった。
「ビルギッタお嬢様。王太子殿下からのお手紙をお持ちいたしました」
「ああ……えっと、ありがとうございます」
トレイに載せて差し出された手紙を受け取ると、侍女の、ええと……ミリアムは恭しく頭を下げて、素早く出て行った。ミリアムは、エドヴァルド様からの手紙が届いたときだけ、私にこうやって届けにやってくる。
「……ふふ」
真っ白な封筒をそっと撫でると、なめらかな手触りが気持ちいい。封蝋はいつも通りの青色で、エドヴァルド様の素敵な目を彷彿とさせる。
そして、便箋にも同じく真っ白い、私でもわかるくらい上質な紙が使われている。金色の箔押しやうっすらと香る涼しげな匂いに胸をときめかせつつ、文章に目を通す。
「ビルギッタ、夏季休暇になったから、また手紙を送るね」
語りかけるように、何度も私の名前が書かれているのを見て、ついつい口元がゆるむ。その声を脳内再生するのは、前世で何度も彼のボイスを聞いてきた私には、あまりにも容易くて、それでいて、未だに泣きそうなくらい幸せになれるのだ。
ビルギッタの入学する前――1、2年次の間に「エドヴァルド」がどうやって学園で過ごしていたのかは、ゲームではわからなかったから、こうやって彼の言葉から知ることができるのはすごく嬉しい。寮での暮らしとか、以前からの友人という(そして、ゲームでは攻略対象のひとりである)バルタサール・ヴェステルグレーンの話とか、学食のおすすめのメニューだとか。便箋数枚にもわたって、驚くほど仔細が綴られている。
半ば相槌を打つように頷きながら、私は、ゲームで何度も見つめた彼の制服姿を思い出す。
学園の制服は濃いグレーのブレザーとボトムスに、白いシャツかブラウスがデフォルトだ。大抵の生徒はありきたりな、いわゆる制服というシルエットのものを着ている中で、攻略対象や悪役令嬢たち、そしてヒロインといったメインキャラは、独自のデザインの制服を着用していたのが面白いところだった。
エドヴァルド様は、シャツは立ち襟のプレーンなデザインなのに、ブレザーのボタンがなぜか黒のチャイナボタンになっていて、最初に見たときは正直困惑したな……。でも、ゲームを進めていると、彼の持ち物や私服にはなんとなくアジアンテイストものが多くて、まあ、そういう設定なのかなーと次第に納得していった。実際に、前にくれた手紙に入っていた小さな髪飾りも、組紐っぽいというか……そんな感じのデザインだったし、やっぱりそれがエドヴァルド様の好みなのかなあとわかってきて、そうなると、俄然この目で制服姿を見られるのが楽しみで……。
――――
イェシカの姿を全く見ないまま過ぎていく夏休み期間の、ある日。
もういったい何往復したのだったか、今日もミリアムによって届けられた手紙だけど、夕食の直前だったため、開けずに置いておく。
中身が気になるものの、髪を軽く整え、母さんと合流して食堂へ向かった。
「ビルギッタも、もうすぐ14歳だね。学園入学を見据えて、今年は外の方々もお招きしてパーティーを開催しようと思っているんだけど、どうかな」
上品にナイフでお魚を切りながら、お父様が母さんに尋ねた。母さんも、そつなくフォークを使いこなしつつ、首をかしげて
「ええ、それがきっといいでしょうね。人脈は大切だもの」
とおっとり微笑む。
……市井で暮らしていたときから、母さんのご飯の食べ方はとてもきれいだった。一方で、日本人だったころよりは明らかに使い慣れてきたとはいえ、未だに上品とか優雅というにはほど遠い自分の手元を残念な気持ちで見つめていると、
「ビルギッタ、よかったね」
「え、あ、うん! ……お父様、ありがとうございます」
私はぺこりと頭を下げる。お父様は軽く手を振って、気にしなくていいよ、のジェスチャをした。
「それで、ビルギッタがよければ、王太子殿下もお誘いしなさい。もちろん、招待状を私から送ってもいいが、せっかくならばビルギッタからお声がけしたほうが、殿下もお喜びになるだろうから」
「……はい! 是非お誘いします」
お父様からの提案に、はっと記憶がよみがえる。
思わず大声で返事してしまった私だが、お父様は楽しそうに笑顔を浮かべるだけだった。
――――
王宮で出会ったあの日が、1回目。
イェシカと話していたところに来てくれたのが、2回目。
そして、次が、3回目。
ツキプリでは、ヒロインが13~14歳の年に発生する3回の出会いイベントののち、メインである学園編に進んでいく。
でも、今のこの世界はゲームと違うところもあって、「会えた=イベント」とは限らないんじゃないかって思っていたけど、確信したのは2回目だった。
なぜなら、シチュエーションは少し違ったけど、エド様の着ていた白い上着が、2回目のイベントのときとまったく同じだったから。……そう、ツキプリでは、いつもキャラクターは基本的に同じ格好で描かれているけど、2回目・3回目の出会いイベントでは、スチル用の衣装で登場しているのだ!
それに気づいて、あの激甘スマイルのスチルにつながる返事を必死で思い出した、その甲斐はあまりにも十分すぎるほど、あった……。
――まあ、それはさておいて。
エドヴァルドルートにおける3回目のイベントは、本来ならば冬期休暇前にあるイェシカの誕生日パーティー。だけど、ここでは2人の婚約関係がないから、そこの穴埋めとして、私の誕生日パーティーが設定された……ということ? ゲームとまったく同じではないけど、近い形で進んでいるということで、やっぱり間違っていないのかな。
ゲームと近い、かあ……。
ちくちく嫌味を言うくせに、本当に傷つくようなことは言わないし、普段は姿を見せないくせに、この前のイベントでは絶妙なタイミングで私と会っちゃうし。そもそも、よく考えたら、中身だけなら今のところ、私のほうが年上だよね。
そんなこんなで、このところ悪役令嬢だと言うにはちょっと罪悪感がある、そんなイェシカお姉様も、私が学園に入ったら……やっぱり悪役令嬢になるのかな。




