第25話
窓の外から、朝7時を知らせる鐘が聞こえてくる。
ふ、と目が開き、私はゆっくりと身を起こした。
部屋に備え付きの洗面所で顔を洗い、髪を梳かす。イザベレが持たせてくれたこの櫛は、寝ぐせのつきやすい私の髪にもきらめくような艶を与えてくれる、いわばとっておきの品なのだ。
「今日は、どのブラウスにしようかしらね……」
1人しかいないと、つい考え事を声に出してしまう。クローゼットの中に並んだ白い服たちとにらめっこして、取り出したブラウスに着替える。そして、そこに制服の――指定されたデザインをアレンジし、フィッシュテールに仕立ててもらったスカートを纏えば、コーディネートが完成だ。
そして、鞄を持ち、もう一度ブラウスのリボンを確認してから、ドアを開けた。
「おはよう、エヴェリーナ」
「ええ、おはよう」
廊下にはエヴェリーナが立っており、目が合えば上品に手を振ってくれる。彼女の制服は、スカート・ジャケットともに標準のデザインそのままだが、つややかなミントグリーンの髪と、立ち居振る舞いの優雅さのおかげで、かえって洗練されて見えるのだった。
「マーユは起きた?」
「先ほど、2回目のノックをしたところなの」
「それでは、たぶんそろそろね」
そう言いながら、2人で肩をすくめる。実はマーユは寝起きが悪いそうで、オーダーすれば学園の使用人が起こしに来てくれるとは言うものの、外聞が悪くて頼めないのだという。だから、毎日マーユを起こすのは、今のところエヴェリーナのお役目であった。
「それにしても、もう夏季休暇ね。試験結果が気になるけれど、特にお声がかかっていないっていうことは、大丈夫だと思ってもいいのでしょうけれど」
「そうみたい。聞くところによれば、落第した生徒には、試験の翌々日には呼び出しが来るそうよ」
「あら。そうだったのね。シェスティンが心配していたから、教えてあげたらよかったわ」
そんなことを話しているうちに、私たちが待ち構えているマーユの部屋から、物音が聞こえ始めた。エヴェリーナは、廊下の端にある時計をちらりと見てから、どことなくいたずらっぽい表情で、ウインクをひとつ。
「まあ、間に合いそうだわ。……ねえ、もし終業式に遅刻したら、どうなっちゃうのかしらね?」
――――
終業式で発表されたのは、学年ごとの成績上位者20名ずつだった。
わたくしたち1年生の中では、当然のごとく主席がマーユ、次点は意外にもエドヴァルドであり、エヴェリーナも6位と素晴らしい成績を残している。
「……それで、イェシカは何位だったのかな?」
「真ん中でしたわね」
そう答えながら成績表を見せると、たちまちお父様の顔には苦笑が浮かぶ。そう、終業式を終え、早々に……といっても、式の翌日に出立し、ようやく帰ってきたという感じね。
なんとなく落ち着かない気持ちでソファの座り心地を確かめていると、お父様はふっと笑った。
「学園は楽しいみたいで、よかったよ。お友達も増えたんだね」
「ええ、そうですわね。手紙に書いた気もしますけれど、クラスでは、エリンとシェスティンという子と仲良くしていますのよ」
「それは何よりだ。マーユ嬢のおかげだね……彼女はどんな様子だい?」
「エドヴァルドと同じクラスなのが、精神的に負担のようですわ。でも、全くそれを悟らせずに、むしろ、そうですわね……あのエヴェリーナ・レーヴが心酔している割には、勉学を除けば、可もなく不可もないご令嬢だ、ともっぱらの評判ですわ。けれど、エドヴァルドのほうは」
一度言葉を切って、エヴェリーナから聞いた話と、エリンが集めてくれた噂、そして私自身の耳に入ってきた話をそれぞれ頭の中で整理する。
「2人は婚約者で、クラスも同じですから、やはり当初は皆も興味津々でしょう。どうやって過ごしているのかとか、どういったものを贈り合っているのかとか、そういった質問が後を絶たなかったそうですわ。そのときにマーユは、エドヴァルドの菓子の好みであったり、今までにもらったプレゼントであったりを、照れながら答えてみせたと聞いていますの。一方のエドヴァルドは、もらったものはある程度覚えているようだったものの、マーユの好みについては「僕よりもむしろ王妃殿下のほうが、マーユ嬢の好みは熟知しているんじゃないかな」と苦笑しながら言っていた、と」
それを聞くと、お父様はわざとらしく肩をすくめてみせる。
そりゃあ、マーユとエドヴァルドの婚約が紛れもない政略結婚であることは、火を見るよりも明らかよ。でも、だからといって、クラスメートたちにそんな答え方をするなんて、やっぱりとんだお馬鹿さんよね。
「これには、周囲も苦笑いするしかなかったようですわ。実際に、そのすぐあとから、エドヴァルド殿下はマーユ嬢のことをお気に召していないらしい、とか、マーユ嬢は上手くごまかしただけで、本当は大して仲がよくないらしい、とか、そういった噂が随分と聞かれるようになりましたのよ」
「そうなるだろうね。まあ、エドヴァルド殿下からしたら、うわべだけでもマーユ嬢と親しい仲であるふりをするというのは、気が進まなかったのだろうけど」
「ええ、これで、エドヴァルドにあの子が近づく下地は十分、といったところになるのでしょうね……。マーユの思いどおり、その地位はエヴェリーナという確固たる支持基盤があってこそ、彼女ひとりでは吹けば飛ぶよう――というように、印象はすっかり定着しておりますし?」
敢えて疑問形で文を終えれば、お父様がすかさず笑みを浮かべる。
「エドヴァルド殿下とビルギッタが結ばれれば、マーユ嬢は穏便にフェード・アウト。晴れてリドマン家から解放され、自由の身」
大人しく引き下がったその後、こっそりとしたり顔で笑うマーユを想像し、私は口元を緩めるのだった。




